国東半島モニター旅 その1・宇佐神宮編 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

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土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!

 

先週の木曜日に、念願かなって昨年12月に応募していたツアーに行ってきました。 そのツアーとは、 モニターツアー といったもので、参加料金は国の観光庁の支援で、我々参加者は タダ というもの。グッハッ

今時けっこうあちこちの県でも、同じようなモニターツアーを時々聞きますが、皆さんの周辺ではありませんか?ニコニコ

 

 

一度自分ちのバス会社とか旅行代理店とか、HPをチェックしてみたらいいですよ。 今はなくともその内でるかもです。(笑)

 

 

私が今回連れて行ってもらったツアーとは、大分県の地図を広げてみて瀬戸内海に突き出すようにして広がっている。

大分空港もある半島。

 

国東半島 と全国総八幡社のトップとなる 宇佐八幡神宮 の旅。 ツアーは無料なんですが、お昼ご飯だけは自腹となっていて、私の場合は自前のおにぎりとお茶を持っての参加となりました。

ガイドさんもちゃんと乗っていて、バスの中での観光案内や現地での案内もあり、そのガイドさんが言うには、時々お弁当を自前で持参するお客さんもいるんだとの事。

国東半島の 六郷満山 といった主には歴史あるお寺さんを周る、仏像とかの旅だったんで、そうしたところはコンビニや食事処などが、近くにあるなんてありえないような場所に建物があって、今回行った先での唯一食事をとれるというお店では、お弁当持参の人も中で食べてもよろしいとの事で、ガイドさんからお誘いを受けました。(笑)

 

 

でも本当はひとり外で食べて終わったんですけどね。にひひ

 

 

だって、短い時間だったんで、その辺写真撮っていたりトイレに行ったりしていたら、なんだか店に入って腰かける暇もなくなったんで、

外の川辺で済ませちゃいました。(笑)

 

 

ていうか、そうゆう事よりもそれでは、今回の旅のお話しを始めましょう。照れ

 

 


私ねぇ~~、実は今回乗ったバスで旅をする事を、以前より希望していたんですよ。 でもなかなか腰があがらなくて、そしたらモニターツアーなるものを見つけて、こりゃいいやと応募したとした事でした。(笑)

 

この定期観光バスは、2路線大分市内から走っていて、途中で決められた場所でお客さんを乗せながら、目的地へと向かう観光バスなんです。 そう、元々走っていた路線の観光バス。上差し

それがモニターツアーとなっていて、旅の最後にはアンケートに協力という事で、参加が認められたものでした。

(モニターツアーの日は、1月2月の決められた期間だけ)

 

 

出発の朝は、残念ながら雲が多くて日が差すものの・・・・やはりちょっと肌寒い小雨がパラつく朝でした。傘汗

後にこの天候は、所によりだいぶ変わってきます。(笑)

 

 

全席45席あるこのバスの中、今回はコロナが再び猛威を振るう中で、だいぶキャンセルも出ているとガイドさん。

なので当日はガイドと運転手さんを入れても、12,3人ぐらいの小さなツアーとなっていました。(笑)

でもその方が、コロナ禍では安心できる。ウシシ

 

 

さて、我々御一行がまず初めに行った場所は、大分市からは車で約1時間半~2時間内ほどの距離にある 宇佐市 という場所。

今は高速とか自動車道とか通れば、もっと早く行けますが・・・・

私達は途中でお客さんも乗せたりして、けっきょく地道という一般道を通って行きは向かう事になりました。バス

 

走行中・・・その間も、ガイドさんはいろんなお寺とか歴史とか謂れとか、次々に興味深い話しを繰り出してくる。

そしてその舞台となる寺とかが見えてくると、一旦車のスピードも緩めてゆっくりと走り、ここがそうですと車中で案内もしてくれる。

なのであらかじめ決められた観光地とは別に、付録を頂いたような感じで・・・・・。

 

 

宇佐神宮は宇佐市に入ると大分市寄りの、入口にもなるような場所にあります。 駐車場からは長い参道を歩いて向かうのですが、これが本当に神様に会うまでが遠い道のりで、それでもゆっくりと楽しみながらあちこち見て周る事もできるので、散策するにはいい場所なんですよ。(笑)

 

 

その宇佐神宮の敷地内には、一体いくつの大きな鳥居があると思いますか?(笑) そう言うくらいに、本当に沢山の大鳥居だけでもあるんです。ニコ

 

 

その大鳥居を潜り歩き続ける事10分ほどかな・・・・もっと?

やっとここまで辿り着く。 途中手水舎があるんですが、それもコロナ禍使用になっていました。 普段使用の場は、今は使用禁止に・・・

 

写真の下に見えている2つの鳥居は、左手を本殿へ右手は本殿から下りてお参りに行くべき場所である 下宮 への鳥居。

一般的には左から上り右の鳥居から出てくるといった事です。

 

その本殿への鳥居の先を上っていくと、足元に二つの富士山とも言うべき石が、足元に見えてきます。 写真右上のもの・・・・

私も大分県に来た頃に教えられました。

この石を踏むと御縁が結ばれると・・・・、(笑) 夫婦円満とか彼氏彼女とか、まっ主にはそう言った事です。ほっこり

見ていると思い切り二つの石の上に、着地するようにして足を留める人もいる。(笑) 

そして現在工事中の仮の出入り口を抜けると、そこから先にはいよいよ全国総八幡の社が見えてくるんです。爆笑

 

 

 

 
宇佐八幡の名前が歴史に出てくるのは、あの奈良の大仏が建立される前の話し。 だから相当古いという事はわかると思う。(笑)
有名な歴史上の話しでは、 和気清麻呂 と当時の天皇に取り入り、我こそが次の天皇になるべく人間だと、腹黒い行動を起こしたという 道鏡 というお坊さんの事。 
ガイドさんの話しでは、今の中学の歴史の本の中では、この2人の話しが出ているんだとか。 
随分前にはお正月の時だったか、この物語をドラマにして放送した事もあった。 
 
俗に 「宇佐八幡神託事件」 とも言われたこの物語は、虎視眈々と時期天皇の位を狙う道鏡が、本当にそれにふさわしい人間かどうかと、和気清麻呂が 769年 この宇佐宮に派遣されてきます。
宇佐神宮は鎮護国家の神として尊崇を集めていた事でも、時の天皇らにも重要な場所となっていたのです。
清麻呂は数日間社に籠り神託が下りるのを待ちます。
この清麻呂がいたといった場所も、八幡の社とは別の近隣にあります。 多分観光客らは、そこへ足を運ぶ事もないだろうし、気に留める人も少ないと思いますが・・・・。 
私も一度だけそこへ行った事があります。 特に現在は何もない、静かな場所です。
 
「無道の人道鏡を、排除せよ」 八幡神の神々は、道鏡はふさわしい人間ではないと神託。真顔
天皇となるべき人は、既に決まっている運命だと、道鏡のような卑しい生まれの人間には向かないと、八幡神らは清麻呂に応えたのです。
その言葉を奈良の都に持ち帰り、天皇他大勢の人々の前で声高々に伝えた清麻呂。 当時の道鏡は、天皇らに気に入られた存在であり、地位も名誉もある人間だったのだが、その行いにおいては反発心を持つ者もいた。 だが道鏡の人間性を恐れて、なかなか思う事を口にはできないでいたのだ。 彼は完ぺきな天狗だった。(笑) 
それを和気清麻呂は、堂々と目の前で言ってのけたのです。
 
これには人々も驚き 清麻呂スゲービックリマーク って事になり、道鏡は自分を庇ってくれると思っていたのに、天皇らも無言でその場を後にした事で、益々その怒りの矛先は清麻呂へと向かい。えー
この後、道鏡はわざと清麻呂の事をののしり、嘘の話しを広め名前などをもじり、まるでいじめっ子が弱い者いじめをするように呼び捨て、彼の立場を人間性を悪い評判として、世の中に広めるような行動を行いました。 それでも怒りが収まらない道鏡は、清麻呂の足が歩けなくなるようにして、国外へ追いやってしまいます。ニヤニヤ汗
 
3人の子供と妻と別れて、彼は九州は薩摩の国大隅に流される事となる。 実はその流された現場に、私は偶然行った事があるんですよ。
本当に偶然です・・・・・
だって 坂本龍馬 のハネムーンの地を旅していて、龍馬と妻・おりょうが見たという 犬飼の滝 に行った時に、実はそのすぐ目の前にその場所があったんです。(笑)
 
 
今考えても、あんな寂しい場所で、彼は暫く暮らしたんだなと・・・・
 
 
奈良の大仏建立の話しが持ち上がった時にも、ここ宇佐の地まで神託を伺いに、天皇らが使者を遣わすことをしているくらいに、当時の日本の国においては、政治的な重要な節目において、 国家神 としてとても大きな役割を果たしてきた地でもあったんですね。
その時に輿に乗って都に上った事で、実はこの宇佐八幡が今でいう祭りでの 神輿 の発祥の地とも言われているんですよ。
実際現代においても平成の頃に、奈良市までそれを真似た事をやったと聞いています。
 
大仏が完成した年、八幡神と大神杜女 (おおがのもりめ) という神々が、その大仏を拝する為に奈良へ向かった。
それが御神輿の始まりだと言います。
 
7月の終わりだったか夏だったと記憶しているんだけど、沢山のグループがそれぞれの神輿を担ぎ宇佐神宮に集まり、勇壮な掛け声と共に祭りを盛り上げる行事があった。祭花火
その時は太刀を手にして、神主らが悪役の鬼を相手に斬り合う。
そんな事も目にしました。
次から次へと、太刀を手にして敵対する存在と、まるで時代劇のワンシーンのような事が参道の一部でおこなわれていました。ウインク
 
 
ここでは様々なイベントや祭りも、年中行われているんですよ。
但し今はコロナ禍なので、殆どは中止となっているんでしょうが・・・・・
敷地内にある宇佐八幡宮の資料などを展示する 宝物殿 にも、一度は入って見て欲しいなと思いますね。
今回は休館中という事で、入る事はなかったんですが・・・・・
敷地内は本当に、いろんな見どころが沢山あります。
 
宝物殿前の池の蓮も、見ごろの頃は綺麗です。ニコニコ
只先日見たんですが、池の蓮の痕跡が見えなくて・・・・・
まさか抜いていないよなぁ~ うーん
 
 
右上の画像が八幡宮の本殿です。
ここでは島根県の出雲大社と同じで、特殊なお参り方をします。
 
二礼四拍一礼 これがここでのお参りの作法です。拍手
 
 
今時の若い子らは、一度もお参りをした事が無いという方もいて、時々聞こえてくるのは、 「どうやってやるの」 とした言葉。
柏手の打ち方も知らない人がいて、ほんと驚いたんだけどね。叫び
彼氏と共に社殿前までやって来て、きっとデートなんだろうがそこまで来て、「一度も親とも行った事がないから、お参りのし方がわからない」 と・・・・。 あの時はほんとにびっくりしました。(笑)
 
 
君、日本人だよね・・・・って。(笑)
 
 
まずは本殿前に立ち一番左手から右端まで、順番にお参りするのが宇佐神宮の習わしなんです。
その後は一旦元来た地味を戻り、途中左手に下へ下りる階段があり、
そこを下りて道の先にある「下宮」といった場所へ向かい。
そこでも本殿と同じお参りのやり方をするんです。ニコ
時間のない人などは、この下宮という場所だけに、二つの鳥居が右左にある場所から入り、参って帰る人もたまにはいます。
 
 
本殿前の柵の所からは、元々の宇佐八幡の始まりとなる宮が置かれた場所も、こうして見える範囲で確認する事ができる。
ここは九州で言う 隼人の乱 といったものが鎮圧された後に、ここへ宮が築かれたとした事。
 
八幡というものは、地名とかの由来名ではなくて、中国の唐時代の軍の制度を象徴するもの。
「八幡・四鉾」制に由来。 軍などが用いる 「幡」 を意味すんだとか。 宇佐八幡宮の重要性が増す度に、社領も拡大していって平安末期には、九州最大の荘園主ともなっていたという。
ここが始まりとなり、国東半島に広がる六郷満山といった仏教文化が花開く事となり、大分県での石仏などにも影響していったとした事だ。
ここには神社だけでなくて、敷地内にその昔は 弥勒寺 といった寺もあって、 神仏習合 の先駆けともなっていった。
 
 
中世になると宇佐宮や弥勒寺の荘園は、武士たちの押領により減少していく事となるが、その後は豊前の主となった 黒田長政 や
細川忠興 江戸時代の 徳川家光 などの崇敬を受けて、社領を寄進されるも以前ほどの権威は失われていった。
 
ちなみに 豊前 とは、現在の大分県中津市を含める周辺の呼び名。 戦国期でのね・・・・ほっこり 当時は大分県と福岡県の一部が、その領地となっていたんだ。 大分では 豊前 豊後 とつくけれど、これは都に近い程 「前」 をつけるといった事らしい。
歴史に登場する「豊後」とは、確かに都よりは豊前より離れているかもね。(笑)  同じ大分県なのにね・・・・ にひひ
 
本殿への道沿いで、行きがけに社務所の先の右手奥に見えてくるのが、天皇などからの勅使が渡ってくるという橋。
呉橋 (くれないはし) といったものだが、この橋には端と端に扉がついている。 宇佐宮参詣勅使がやって来ると、西の参道に繋がるこの橋の扉が開き。 神橋を渡って勅使が往来するといった事だ。
 
現在橋向こうの参道は、夕日が一直線に見えるといった時期もあって、話題を集めようとしているが、道の整備も進み電柱を地中に埋めて、景観に力をいれているようだ。
 
現在の宇佐神宮の本殿は、 1855年 安政2年から 
1861年 文久元年にかけて造営されたもの。
 
宇佐神宮から始まったこのモニターツアーは、六郷満山といったこれだけの寺を回る事となるのだが、さすがにこれは1日では回り切れない。 宇佐神宮だけでも、1時間少々では短すぎる。えー?
最低でも半日は欲しいところ。
(実際は、これ全てを周るツアーはなくて、一部の寺社を巡る旅です)
 
私が大分県へやって来た時、初めて仕事で移り住んだのが、国東半島の付け根とも言える場所。 杵築市 (きつき) という所で、ここに約3年間住んだ間にはよく自分の車で、国東半島の寺社を巡り宇佐神宮にも、何度となく足を運んでいたとした事。
それでもなかなか周り切れていない場所さえある。
この頃の初詣は、決まって宇佐神宮まで行っていました。
 
 
今回のツアーでは、そういった初めて行くお寺さんもあって、旅の始まりからワクワクしていたんです。(笑) ニコニコ音譜
 
これだけの寺社があってもね、ちゃんと後を継ぐ跡継ぎに恵まれずに、長い歴史を終える場所もあるんだそうだ。
それでも宇佐神宮のように、名を残す為に歴史と文化を受け継いでいく為に、元々の神主の家とは別の家の人間が、後を継ぐといった事なども起こっていて、実は数年前には宇佐神宮にて、その跡継ぎになった新しい神主が元で、関係者らの間にいざこざが起こって、ひと悶着ニュースになるような事があったばかり。
そう言えば、あの問題はどうなったんだろうか?しょんぼり
 
 
どうもこうした世界では、未だに跡継ぎは男子でないと駄目だとした事があるようで、女の子しかいない家だと、養子を迎えたり外から人が入ったりと、なかなか大変な事が多いそうだ。
しかも元々の家の関係者らに、後から入った人が気にいってもらえないと、機嫌を損ねただけで後々問題化して、宇佐のように訴訟まで行ってしまう事にもなる。
まったく、歴史が重すぎると大変だよな・・・・。(苦笑)タラー
 
この風景を見ても、どんだけ広大な土地かわかると思うが、現代でもこれだけの広さがあるんだもの。
その昔はもっともっと広々とした土地だったんだと思うよ。
国東半島には、宇佐神宮に関係する場所や寺社も多い。
 
あの豊後国の 大友宗麟 の妻であった人も、宇佐神宮に関わる神社の神主の娘だ。 それ故に夫・宗麟との確執が、キリシタンとなった後も続いて結局最悪の結末を迎えてしまう事となる。
宗麟は寺社の破壊もしているんでね。(笑) 
 
その奥さんの出た 奈多宮 は、大分空港の手前にあるけれど、海を臨む方角からの参道や海の中の鳥居とか、風景写真としてはいい場所です。
 
さて、昼前にここを発った私達は、次の目的地となる・・・・・爆笑
 
 
紅葉の季節には、落葉した銀杏の黄色で染まる。
国東半島 豊後高田市 の 富貴寺 へと向かいます。チョキ