先日5年間という連載を経て、ようやく新たなる・・・・・
「ベルサイユのばら」のエピソード編が、完結いたしました。 5年間という間には、ベルばらの中に登場する人物達の知られざる裏エピソードを、原作者である 池田理代子 さんが、ロマンチックにドラマチックに様々な視点からの作品として、この世に残して下さいました。 最後のエピソードには、ベルサイユのばらでもお馴染みなあのロザリーに焦点を当てて、主人公のオスカルとアンドレが亡くなって、フランス革命の露となって消えた・・・・・
マリー・アントワネット やブルボン王朝後の・・・・、彼女が生きた時代を興味深く描く。
そこには、フランス革命を生き延びた・・・アントワネットの恋人。
フェルゼン の姿やオスカルに、かつて求婚をした事もあった。 ジェローデル の姿もありしました。 冒頭から・・・フランス衛兵隊にて、オスカルの部下でもあった アラン やロザリーの夫であった ベルナール などの突然の死。
そこには、様々な革命後のドラマがありました。
理代子さんは、45年前に描いたベルサイユのばらでのラストシーンとなった。フェルゼンの死の真相 を、どうしても描きたかったようで、45年前にはそれを描けなかった事から・・・・。 今回のエピソード編では、全ての物語がその場面に向かうようにして、描かれていたのも印象的でした。
こちらが、その有名な王妃の恋人と言われていた。
ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン ・・・・、そのまんまお育ちの良さそうな気品とお姿。 彼は北欧の都 スウェーデン の名門の家柄の生まれ。 そう、生まれついてのお坊ちゃまだったんですね。 そんな彼は自身でも、自分がどんなに周りにちやほやされる存在なのか・・・・、女性たちに人気があるのかモテるのかも、よくわかっている人間でした。
アニメイトだけのエピソード編14巻の為のイラスト特典画
ベルばらの中でも、確かに男っぷりのいいハンサムな貴公子として、
イラスト右上のようなキャラデザインとして、描かれてもいますが・・・・・本物の肖像画を見たら、なんかどことなくひ弱そうにも見える。
だけど、このフェルゼンという人物。 後にフランス革命の中から命懸けで、王妃と国王一家を助けようとするんだよね。 ちょっとした事がきっかけとなり・・・・暴動が起こり、大変な騒ぎにもなるであろう革命の嵐の中を、自らの命を賭けて・・・・。 そんなさなかのフランスから、国王一家の逃亡劇に、自らもシナリオを書こうとは、見かけによらず大した大物。 ![]()
男の中の男でもあります。 そして、革命後は・・・・愛するアントワネットの命をフランス国民に奪われてしまい・・・・。一生そんな民たちを恨んで、最後はフランスの民だけでなくて、祖国スウェーデンの民にまで命を狙われて、暴徒とかした民たちの手により、殺されてしまうのです。![]()
マリー・アントワネットがフェルゼンと出会ったのは、ベルばらでも描かれたパリのオペラ座での仮面舞踏会での事。 お互いが同じ1755年生まれで、18歳を迎えた1774年の1月の事でした。
アントワネットは、今回が初めてのパリではなくて、実はお忍びで何度となく舞踏会にも出かけていたとか・・・・。 スウェーデンのフェルゼン元帥の長男として生まれ、この頃にはヨーロッパの主要都市へと、
留学などをしながら高い教養を身につけていたフェルゼンは、パリに訪れた頃には・・・イギリスの裕福な家庭の娘への結婚申し込みを断られて、自分が魅力的な事を自覚していて、相手を惹き付けるだけのものを持っていると思っていただけに、外交官として軍人としてキャリアを築く事を願ってい彼としては、この娘と上手くいかなかった事では、想像するよりも心の痛手が大きかったようだ。
そんな彼は、オペラ座での出会いの後・・・・4年の月日を経て、ベルサイユ宮殿にて再びマリー・アントワネットと再会する事となる。 彼女は、正式に王宮にて紹介されると、・・・・・
「あら、昔からの知り合いだわ」 と、言ったといいます。
アントワネットは、ドイツ・ハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの末娘として、ウィーンにて生まれ育ちました。 14歳でフランスとドイツの政治的な事柄により、同盟を結ぶ為の花嫁として、フランスのブルボン王朝へと嫁いで来ました。
相手は時の国王ルイ十五世の孫・・・・後のルイ十六世。
何もわからない・・・知らないままに、彼女は10代の終わりにして、正式なフランスの王妃への階段を上ることとなるのですが、長きに渡って夫との男女の関係をもててなかった為に、後継を生むこともできず・・・・。 いつしか取り巻きの貴族達との遊びなどに、毎日夢中で付き合う事となっていきます。
彼女がめでたく初めての子供を持つことになるのは、まだ先のこと・・・・・。
これは、アントワネットだけの責任が問われる問題だけではなかったようで、元々は・・・夫・ルイの身体的な事柄によるところが、災いしていたようでした。 彼女の母であるマリア・テレジアは、娘であるアントワネットとの手紙のやり取りを、亡くなる年までずっと続けていました。
それは、彼女がフランスに嫁いでからの宮廷生活や・・・・
人間関係・・・・、政治的な事柄などを含めて、お互いの毎日の近況報告等など、それはそれは何度も何度も、互が遠く離れていても励まし合い助け合う為の言葉を綴った手紙。
マリア・テレジアは、とても有名な女帝でした。 生涯に16人もの子供を持ち・・・・、政治的な事にも影響力のある人物でした。
よって、アントワネットに対しては、時に厳しくも世継ぎや政治的情勢などに対しての取り組み方を、手紙で指南してくるほど・・・・
母・テレジアは、アントワネットの兄をお忍びでフランスへ向かわせて、宮廷にて再会させると何故、子供ができないのかと、妹を問い詰め・・・続いてその原因が、夫であるルイにあるとわかると、その場でルイが理解しやすいように、言葉で夫婦の仲が良き方向へと向かう為のレッスンを始めます。 そうした事が功を成したか・・・・・、まもなくして初めての子供を授かることとなるのです。
最初に生まれたのは、期待虚しくも第一王女でした。 そして次に生まれたのは、フランス国民も待ち望んでいた王太子・・・・。彼女はその後もう1人の王子を生み・・・・生涯4人の子供を持つこととなりました。 最後に生まれたのはソフィー・ベアトリスという王女様。
しかし、1歳を前にしてひきつけを起こして、亡くなってしまいました。 当時王妃と子供達を題材にした画を描き始めていた有名な女流画家 エリザベート・ルイーズ・ヴィジェ・ルブランは、数週間後に末の王女が早世した為に、・・・・・・・・
「マリー・アントワネットと子どもたち」と題したこの絵の中に、空のゆりかごを描きました。 それを伺わせるように、ゆりかごの側に立って中を見せているような王太子。 もうひとりの王子は、まだ母親の膝の上に・・・そして王女は、そんな母親の腕に絡むようにして甘えている。
ルブランのこの画は、1786年6月4日・・・・・
嫡子であった王太子 ルイ・ジョゼフ が脊椎カリエスという病気で亡くなると、王妃が悲しむという理由で、この画を取り外してしまう。
マリー・アントワネットに対するフランス国民や貴族たちからのあらゆる言葉は、王妃を傷つけ悲しませるものが多かったが、子供を持ち母となってからのアントワネットは、それまでのアントワネットとは様子が違い。 遅くまで遊びに耽る事もなくなり、子供達との時間を大切にする。
良きひとりの母親の姿だったとも伝わります。
アントワネットとフェルゼンの関係も、子供が生まれる前からずっと、人々の間のゴシップでした。二人が本当に、熱く肌を寄せ合うほどの関係であったかは、今日までその研究者や歴史家によっては、意見が分かれるところなのですが、フェルゼンが妹 ソフィア に書送った手紙には、こんな言葉も書かれていました。
「もう結婚はしないことに決めたよ。」
「僕には本当にその人のものになりたいと思える人、しかも僕を愛してくれる人が、たったひとりいるけれど、彼女とは結婚はできないんだ。 だから誰のものにもなりたくない」
また別の手紙には、「こんなに人を好きになったのは初めてだ」 と記している。
初め妹ソフィアとの間では、アントワネットの事を暗号名である・・・・・
ジョゼフィーヌと表していたが、後に彼はいよいよ 「彼女」 と呼んでいる。 妹の事を話すと、その妹の事をとても気に入ってくれたと、アントワネット自らの髪の毛をソフィアにプレゼントとして下された事・・・彼はそれにて、・・・・・
「いっそう彼女を好きになってしまった」 と表している。![]()
これでは、まるで初恋が実った少年のような嬉しさ・・・・・、そんな素直なフェルゼンの姿を、垣間見ることもできる。
只・・・・肝心のフェルゼンとアントワネットとのやり取りされた手紙などは、この世に残っていないので、二人がどれほどの熱い時間と関係があったのかは、憶測でしか断定はできないのだが、実は・・・・そんな
フランスには、革命の中での秘密裏にやり取りしたであろう手紙が、革命委員会の取締で、相手には届くことなく今も保管されていて、それらの手紙の解読が、少し前に話題になったと記事を見たことがある。
だが、暗号文と化していたラブレターは、未だ二人だけの秘密のままなのです。
「私の為に被った不幸、結婚生活を通じて味わせたかもしれない悲しみについて、妻に許しを乞いたい。 そして、私が妻に何の不満も抱いていないこと。 妻には自分を責める必要など全くないことを伝えたい」 これは、後にアントワネットが手にする事ができた夫ルイの遺書である。
夫と引き離されて、最後に囚われの身となっていたタンプル塔から、群衆が待つ処刑の広場へと向かったルイ十六世。 処刑される数日前・・・国王一家は、タンプル塔内にて上と下の部屋へと別れさせられて、夫とは妻であるアントワネットでさえ・・・・二度と会うことができなくなりました。
外から聞こえてくる人々の歓喜の声に、夫が処刑されたのだと知った後、悲観にくれていた彼女に、立ち直るきっかけを与えてくれたのが、夫からの最後の手紙 (遺書) でした。
その後、今度は王子とも無理矢理引き離されて、最後は王女とも離され・・・・、夫の妹も・・・・夫と同じように、天国へ召されることとなったのです。
この最後の国王一家が、ここまで過酷な最後を遂げねばならなかったのは、ベルサイユ宮殿を出てパリの市民に先導されて移り住んだ
チュイルリー宮殿。 そこから始まった人目を避けての・・・この後世間に伝わる ヴァレンヌ事件 という逃亡劇。 そして、あと一歩のところで国王一家の逃亡がバレて、再びフランスの民の手によりパリへと連れ戻されて、囚われの身となったタンプル塔。 こうした一連の流れが生んだ人々の国王一家に対する憎しみの倍増。
マリー・アントワネットの運命は、決まってしまったのでした。
彼女がこの世で最後に言った言葉は、人々への憎しみでも恨み言でもなくて、ただ一言・・・・・
「ごめんなさい」 だったそうです。 それは、断頭台と呼ばれたギロチン台に歩む中で、靴が片方脱げてしまい・・・思わず不意に足を、踏んでしまうこととなった市民への謝りの言葉。
あまりにも悲しいとしか言いようがないですね。
実は、このヴァレンヌ事件では、いくつかの不運が重なってしい・・・。 本来なら助かったかもしれない国王一家が、度重なるミスの為に国境に近いこのヴァレンヌの地で、捉えられる事となってしまった。 その原因ともなる人物の1人が、こともあろうかアントワネットの夫ルイだったのだ。
追い詰められた中でも、持って生まれた性格や人間性とは、なかなか変えられないものである。
ここで何があったのかは、いづれまた・・・・・
国王の弟君2人は、既に国外へと逃れていて、ヨーロッパ諸国もいまいち積極的な動きを見せようとしない中で、アントワネットの想い人であるフェルゼンだけは、もはや命を賭けて愛しい人の元へ、只々愛 という原動力だけに動かされているようにして、フランス中が彼の命を狙っているという中・・・・。 その危険を冒してまで・・・・・・彼女と彼女の家族を助けに、舞い戻ったのです。
彼が王妃の処刑のニュースを目にしたのは、逃亡先のベルギーの
ブリュッセルでの事だった。
「なぜ私は、彼女のために死ななかったのだろうあの六月二十日に」
ベルばらでも書かれた有名なセリフだけど、この言葉は妹ソフィアへと宛てた手紙の一文そして彼の日記の中で、何度となく繰り返し嘆げかれている。 逃亡の途中で、彼は国王から同行をやめるように言われてしまう。 いつもは優柔不断なルイが、この時は信じられないくらいな頑固さで、フェルゼンの行く末を止めてしまった。
それに強く逆らってまでも、何故自分は最後まで行動を、共にしなかったのだろうかと、その事が彼の中で一生苦しめられる事となってしまった。
天使のように美しいと賞賛されて、周囲の人々からも常に注目を浴びていた貴公子だった彼が、死を迎えたのは・・・・五十半ばの事だった。 若かりし頃の姿はそこにはなくて、年よりも老けてみえるような容姿と、愛しい人の命を奪った民衆への怒りと憎しみに、彼の人間性もあの日から・・・気難しく情け容赦のない冷酷な人間へと、変わってしまっていた。
その日彼は、スウェーデン国王カール十三世により、世継の王太子 カール・アウグスト の葬儀責任者を任されていた。 王太子の死の原因は、不慮の死とされていたが、彼が既に受け取っていた脅迫状には、・・・・・・
「王太子を亡き者にして、国王の座を狙うつもりだろうが、命は無いものと思え・・・・」 と書かれていた。
世継ぎのいなかったカール十三世により、国民の支持を得て王太子に任命されていたアウグストは、軍事訓練の視察に行き落馬して、心臓発作を起こして亡くなった。 王位継承権によくある揉め事もあり、反対派の貴族などもいた中で、王に次ぐ地位にあった保守派のフェルゼンが、人々から命を狙われたり忌み嫌われたりしたのも仕方ないこと。
小さな国であるスウェーデンは、大国の間でいつの時代でも揺らいでいた。 その度どちらにつくか・・・・どうゆう立場を貫くかで、国としての運命も危うくもなる存在で、父親の跡を継いで元帥になっていた彼は、フランスの王朝を復古させようとして、自らが祖国の王位につき、スウェーデンを戦争へと向かわせようとしている。 ・・・・・そうゆう事を、
フェルゼンの祖国の民たちは、思っていたのだった。
大勢の人々で埋め尽くされた広場に、彼の乗った儀装馬車は進んで行った。 そこへ突然石が飛んだ! 初めは偶然かと思われた事が、その後次々と馬車めがけて飛んでくる無数の石礫に、先頭になってポケットにしのばせておいた石を投げると、それに応えるようにして・・・人々があとに続く事をわかっていたことだった。 御者も小姓も逃げたあとには、馬車に襲い掛かり馬車を揺らして、その内彼を外へ引きずり出す者達がそこにいた。
副官が側にいた近衛兵に対して、民衆の制圧を要求するも、それも無視されてしまい・・・・、もはやなすすべがない状態。 副官が彼を必死で助け起こし、近くの建物へと逃げ込むが、野犬の如く騒ぐ民衆達は、その後をどこまでも追ってくるばかり・・・・・。 彼が死へと向かう瞬間まで、それらは彼の体を、ひたすら打ち続けた。 その手には、煉瓦や杖や棍棒までもが、握られていたという。
衣服は引き裂かれて、剥き出しとなった裸体には、なおも続けられる酷い暴行のシーン。 それは、胸や腹や頭を足で蹴られ踏み砕かれて、この惨たらしく残酷な血の饗宴は、彼がずたずたになるまで続き・・・・・。 突然目が醒めたようにして、静かになった・・・・・・
フェルゼンの屍は、側溝に投げ捨てられて、人々はまるで何もなかったかのようにして、四方八方へと散っていった。 これが、あの王妃
マリー・アントワネットの恋人と言われ・・・・・、人々を惹きつけてやまなかった貴公子ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンの最後の姿だった。
その日は、彼が国王一家と会った逃亡劇のあった日であり、愛しい人の姿を目にした最後の日でもある1810年のあの運命の・・・・・
六月二十日 であった。
神様は、地上で結ばれる事のなかった二人を、あの運命の日に再び天にて、結びつけたのである。 45年前の漫画「ベルサイユのばら」の 第9巻 でのラストで描かれたフェルゼンの血みどろの中の
衝撃のシーンは、今回45年を経て・・・・新たに描かれたエピソード編の第14巻のラストにて、そのシーンが表していたフェルゼンの最後の時を、池田理代子さんは描いていた。
当時まだ小学生だった私は、9巻で見たフェルゼンの死の姿が、あまりにも衝撃的で・・・・・何が彼にあったんだろうかと、考えていたけれど・・・・、深く広く探るすべがなくて、結局私もうん十年という時を過ごしてきた。 現代では、指先一つでなんでもすぐ検索できるし、専門的な本などを図書館でも目にする事ができる。 そこから見えてきた真実は、昔心に受けた衝撃よりも、遥かに驚く事柄でした。
参考: マリー・アントワネット 華麗な遺産が語る王妃の生涯
ニコラ・ミロヴァノヴィチ・岩澤雅利 (訳)
マリー・アントワネットとマリア・テレジア 秘密の往復書簡
パウル・クリストフ編 藤川芳朗 (訳)
マリー・アントワネット 運命の24時間
作/ 中野京子
映画 ポンパドール
アントワネットの首飾り
ある公爵夫人の生涯
アニメ ベルサイユのばら











