現在最強寒波がやって来ている日本。 そんな影響は、ここ九州大分でも昨日から強まってきました。耳が痛いほどの冷たい風の中、今回私が行ってきたのは・・・・・
大分市で昨日おこなわれた お城サミット 会場。 お城サミットと言っても、ここで出されたお城は、大分県に残るお城・・・・・いえ、城跡でして・・・・・。それらを持つ 大分市 中津市 佐伯市 竹田市 杵築市 日出町長らが集まってのこれらを活かした活動や町づくり。これからの事、イベントなどなどの発表と・・・・・・・
木村 真琴さんによるお城の見方や大分に残る城跡や築城についてなどのお話し。
あっ、画像は薄暗い会場のスライドを、デジカメ撮影してるのであまり鮮明ではありませんがあしからず・・・・。(;^ω^) 木村氏によれば、確認されているお城の数は、大分県では350を超えていて、それはもちろん山城などの城跡も入っているのですが、小藩が治めていた大分県・・・・豊後国には、その小藩だけでもおよそ16藩もの数があったとの事。私が把握している数以上にあった事には、驚きを隠せませんでしたが、それら16藩の治めた時代が、丁度今年で150年前・・・・武士の時代が終わってたった150年ですよ! それにも驚くでしょ。(笑) 上の写真の藩は、今の大分県の藩ですが、これ以外に今の熊本 延岡 島原 福岡あとその他多数の藩が、ここ今の大分県下をパズルのピースのように、切り貼りして治めていたんですよ。小藩が置かれた場所はあっても、こうした県は珍しいと思います。
豊臣政権に始まり・・・・、徳川幕府もそのままそれを受け継いだ形となります。 豊臣家の頃には、戦での働きに対する恩賞が主でしたけどね。
大分市長が、 大分はまとまりが悪い とよく言われると言いつつも・・・・各市長町長は、仲が良いと言ってましたが、会場も笑い話し的な話しで、笑いがおこっていましたが・・・・・。私のように外から来る人だと、その県民性の難しさ・・・・・すぐわかります。(苦笑) 昔いろんな小藩が治めていただけに、バラエティにとんでいる。なんて市長も言ってたけど、良くも悪くもそのとおりですわ。(笑)
ちとわかりづらいけど、画像左手の少し尖って見えるのが、天守閣・・・・・ここは、私が大分に来て最初に住んだ国東半島の入口に位置する。杵築市の杵築城です。 杵築市長曰く、このお城は市民の寄付から昭和に、復元されたものだそうです。 今はコンクリートですけどね。断崖に立つ城からの海の眺めは最高ですよ!
遠浅の海では、潮干狩りもできて・・・・・。実はここ カブトガニ の生息地でも有名なんです。真下を走る国道210号を行けば、大分空港へと向かう。夜にはライトアップもあって、今は夏の納涼花火大会での花火を、ふるさと納税者など許された方々に、夜の天守閣入場にて、楽しんでもらうことをやっているんだそうです。夕方には門が締まるから普段は入れないんですけどね。 このお城戦国時代末期には、細川忠興の家臣が城代を務め。大友家との戦いでは、黒田官兵衛に救われた城でも有名なんですよ。 2013年10月のブログにて、紹介しています。 ( ・∀・)v
その黒田官兵衛縁の中津市では、堀の水を抜いて・・・・・。石垣などを見て回るこんなこともやったんだそうです。
中津城の石垣は、もうすでに新しく組み直されてますが、その石垣をどうゆうふうに組んでいくか・・・・まずは、石を割るところからの体験なんかもやったそうですよ。
これは、壊される前の明治期の豊後竹田市に残る 岡城 ・・・・・。あの薩摩の島津でさえ落とせなかった。難攻不落の城でした。 今では立派な石垣が残るのみなのですが、私びっくりしました。
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えっ
なんで・・・・・・、しばらく行かない間に、櫓建てちゃったの
いえいえ、その真相はというと、実はこれ・・・・数年前のイベントで、期間限定のベニヤで復元したものだったということでした。ちゃんと中に入れたんだそうですよ。
岡城址に行った事ある人だとわかる。急な階段を上り終えると見えてくる。大手門の跡を示す石垣。その石垣にも、当時こんなりっぱな門を、復元したんだって
いやぁ~~、またやってくれないかなぁ~~。この目で見てみたいよ。ドキドキ((〃゚艸゚))ドキドキ
竹田市では、広大な岡城址を使って、一夜限りの高級レストランを開いて、その限定されたお客様だけの為のライトアップなどをやったり。昨年11月におこなわれた 全国山城サミット の集いでは、九重を拠点にして世界で活躍している。ドラムTAOのメンバーによる演奏もおこなわれました。
只ねぇ~、本当に残念なことは、これらの各市でのイベントなどの告知が、まったくと言っていいほど、大分県下に広く告知されないもんだから・・・・。私でも知らないことばかりだったんだよ。竹田市の観光協会のTwitterも、フォローさせてもらってるんだけどね。考えたら近頃呟きがない・・・・・・。(苦笑) 大分って、自分で毎日でも気になる事を調べないと、殆どどんなイベントがどこでいつ行われているのかわからないという。 めんどくさい県なんです。(;^ω^)
広く告知すればそれだけ・・・・・沢山の人も集まると思うのにね。 未だ小藩分立やっております・・・・・。
あ~~、こちら岡城址内に昨年かな・・・・オープンさせた休憩所。昔も休憩処みたいなのがあったんだけどね。老朽化かなんかで、壊してたんよ・・・・。岡城址も熊本城に負けないくらいの広大さだから・・・・トイレとか途中にあると助かるよね。春になったら私もまた訪ねてみます。
こちらも、これから新たに資料館を建てるという。中津市の中津城であります。あ~~~、中津と言っていたら唐揚げ食べたくなったよ。(笑)
私が唯一城址の石垣を見てないのは、こちら・・・・・県の南に位置する。 佐伯市の佐伯城址。 木村氏のお話しで、初めてこのスライドを見たんだけど、天守の石垣が反っているでしょ。まるで熊本城の石垣みたいに・・・・・・。こちらも是非生で拝見したいと思ってます。
佐伯は四国へ里帰りの時に、フェリー港へ向かうだけの場所だったから。こんな立派な石垣もあるなんて、知らなかったんだよね。この城の主は、私の好きな山城である。森藩の角牟礼城の主でもあった。毛利高政さん・・・・・。毛利と言っても、あの毛利家とは関係なくて、あの秀吉がとある事から名乗りなさいと、高政に与えた苗字だったんだよね。(笑)
毛利高政さんは、江戸城築城にも関係していて、当時は江戸と佐伯を行き来して、2つの城の築城をしたんだって!? 大変だったね、高政さん・・・・・
近い内にやって来ると言われている。 南海地震・・・・・それは、繰り返し起こっていて、唯一歴史の中にも何度も残されている。記録の残るはっきりとした地震。なんだけど・・・・・、戦国時代も江戸時代もそうだったようで、絵地図の右手にとんがって見えるものは、今で言う防波堤のようなもので、津波から城を守る為に、既に武士の時代には築かれていたという事でした。 改めて、昔の方々の守りの造りの凄さに、驚かされます。
大分市内の府内城跡なんて、昭和30年代まで県庁が置かれていたとかで、その後文化会館などが建ちましたが、これも数年前に取り壊されて、今は駐車場として活用している事を、市長も申し訳なさそうに言っていて、イベント時には駐車スペースも、いろいろと活用されはするもののこれからどう活かしていくか1月16日まで、市のホームページで募集しているんだそうですよ。 構想の中には、大阪城のように外堀と内堀を持った城だったという事で、内堀を発掘してその中に、水を流すのか芝生を植えて示すのかと、いろいろと案はあるようです。 是非とも、頑張って欲しいものです。府内城の石垣には、あの加藤清正の支援もあったとの事ですから。天守台も残る城跡ですから・・・・。
来月からは、九州各県下でのお雛様を使ったイベントも始まります。 ここ大分県下でも、今回あげた市町にていろんなお雛様イベントが始まります。 お城と言えば! 桜 ですね・・・・・
まだまだ寒いですけど、やがて春は必ずやって来ます。皆さんも、春の訪れと共に、いろんなお城に出かけてみませんか。\(^^@)/













