今も残る肥後街道・・・今市宿 | サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

サンドリヨンのブログ☆正統派歴女いざ参る!

土佐の脱藩歴女が、いろんな歴史の旅と日常を綴ります。
 過去ログの(1564nhのブログ)では、本当に沢山の歴史を公開しています! 自分で書いておいて改めてへぇ~・・・なブログも、お時間ありましたら見てみて・・・・!!



417年前に参勤交代の道として、1594年・・・初めに豊後岡藩が整備をして、その後肥後熊本のお殿様達も歩いた道。


大分県大分市野津原と言う場所には、今でもその面影が

はっきりと残っている。


肥後の殿様達は、この肥後街道と呼ばれた道を・・・



およそ5日間かけて移動していたんだとか!











こうした平石と呼ばれる石を、


全長660メートルに渡り敷き詰めている



      今市宿・・・・。



写真のように建物前まで敷き詰められた石は、


この石の上を行きかった荷台などが、荷物をそこにあった建物内に運ぶ為に敷かれた名残だとか・・・。







昔は足場の悪かった道を、こうして石を敷き詰める


事で、重たい荷物を乗せた荷台とかも進めやすいように


工夫された道だったんですね!(‐^▽^‐)



右の写真のように、宿場の跡には・・・・家の下や所々の


場所に、昔ここに何があったか・・・・


説明を加えた案内板なども立てられていました。


ここにはお菓子をつくる問屋さんがあったみたいですね!!(°∀°)b

       拡大して見てみて下さいね!!

いろいろな名の売れた方々も、行き来してますよ!!


熊本城から大分市肥後藩の飛び地小藩と言われた鶴崎地区まで・・・・


熊本城を出発してまず1日目は、肥後大津宿に宿泊・・・・2日目はやはり肥後の内牧宿に宿泊。


3日目には豊後との堺となる久住宿・・・・そして4日目がこちら・・・・今市宿! 5日目には、


鶴崎宿に着くとなっていたようです!



鶴崎宿には、今は学校が建ち・・・・



ここに坂本龍馬と勝 海舟が泊まったと言う


標識があります。



二人の場合は、豊後の佐賀関に船で上陸して、







まずは佐賀関のお寺さんに泊まり・・・・



次の日は、鶴崎宿に宿泊したとあります。


こちらのお寺の当時の住職さんは、日記のようなものをつけるのが日課となっていたとかで、


沖を行く船や・・・・



                アップ

龍馬達が宿泊した時にも、こうして名前を記していたようです・・・・。


彼らが豊後から長崎へ向かう街道で泊まった宿は、肥後の殿様達の宿泊場所とは少し違い・・・・


佐賀関~鶴崎~野津原~久住宿~坂梨~内牧・・・・そして熊本城のお膝元・・・・長崎へと向かったようです。




こちら熊本城の側にある二人が滞在した宿の跡・・・・。


久住宿跡・・・・・




こちらの石橋を探すのには・・・・



かなり苦労しました。 (汗)



久住宿からだと・・・・もう地元の方しか使わないような



道を入っていくので・・・・


近くで工事をしている方に尋ねて、やっとなんとか


辿り着いたぐらいでした。 (笑) 








今は写真画面に見える上のガードレールのある道を使いますが、 この橋を渡って進むと・・・・・


上の道に出る事も可能なんですが、



この橋への入っていく道が、なかなかわかりづらかった!?



   ( ̄ー ̄;


下から見ても、こじんまりとした石橋なんですけどね・・・・・


この上を、歴史上の人物が渡って行ったと思うと、それだけでドキドキです!!音譜



さて・・・・・、



話はまた今市宿に戻りますね!!



こちらの丸山八幡社は、肥後の加藤清正公が創建させたとあります。









こちらの門も、なかなか立派な佇まいをしていました。


この楼門は、1720年(享保5年)の創建だそうです。十二支などの彫刻も彫られています。



実は、こちらの門に彫られた彫刻には、日本昔話にも


登場しそうなお話がありました。


昔、この地区の農作物に水を供給していた溜池が


被害を受けて、何度も人々を困らせていた事がありました。


その犯人を突き止めたなら・・・・実はそれがこちらの門の上に彫られた龍だったとわかるのですが、


困った村人達が取った行動と言うのが・・・・


この門を造った大工さんになんとかしてくれと言った事・・・・・。


大工はなんと!?  龍の尻尾に布を巻き付けて、動けなくしたんです。


今でも・・・・よく見たら・・・・龍の尻尾には包帯のようなものがつけられています・・・・


拡大して見て下さいね!! 


豊後から肥後までの124kmの街道!!


江戸時代に築かれた往還の宿場町・・・・・。上町(うわまち) 下町(しもまち)からなり、中央部には信玄曲りと言われるものがあり・・・・防火の為に竹薮が設けられていました。 中川氏(岡藩)の本陣は、上町にあり・・・・・肥後の殿様達が通行する時には、中川氏の命にて蕎麦を接待したといいます。


写真の突き当たりが丸山八幡・・・・ここら辺りが上町の西の端になります。


大分市・・・・国道442号線を野津原方面に進み・・・・旧野津原町役場の手前を右折、旧道に入って進むと右手には、加藤清正を祭った加藤神社があります。今は野津原神社と言うらしい・・・・


明治の初めからは、毎8月23・24日には「清正公まつり」が行われるようになったんだとか・・・・。


神社の北側一帯が、肥後が野津原宿をおき・・・参勤交代の時に藩主の宿泊所として用いた御茶屋跡となっているんだとか・・・・。



再び442号に戻り・・・久住方面に向かうと右手に見えてくるのがブログ一枚目の写真の「今市宿場跡」の標識なんです。(°∀°)b


この標識の側には、車を数台止めれる場所もあります。


また丸山八幡方面へ国道側から進み・・・・少し行って下りにかかると・・・・、広い駐車場のあるおもてなしのお店があったかと思います。  私は始めに標識側に車を止めて石畳を歩きましたけどね!走る人


9月の上旬には、毎年「今市石畳まつり」が行われていて、1万本の竹灯が石畳を照らしてくれる。



豊後国・・・・本当に加藤清正公が大事にされていたんだと思うのが、肥後が関わった場所には・・・必ずと言っていいほどに、清正公まつりや加藤神社等が見られる事。


歴史の人物でも・・・・後々までこうして大事に扱われている人物もいないのではないでしょうか!?