ここは豊後竹田市の武家屋敷のある通り・・・・
この先の右側、ちょうど塀が切れたところを右手に折れると、前方の山の下に隠れキリシタンの史跡がある。
民家の間の細い道を登っていくと、正面の岩場の少し高い所に写真のような場所が見えてくる。
ここは県指定のキリシタン礼拝堂・・・・岩盤をくり抜き・・・・中は6畳ほどの広さ・・・
天井はドーム型をしている。 1617年・・・元和3年頃、この地で秘かに布教活動をしていたというブルドリノ神父他もう一名が、ここを拠点にしていたようだ。この中は、覗く事しかできないが・・・・
岩盤の壁に祭壇のようなものや十字架が見れる。 秋の竹楽という・・・・竹の筒にろうそくを灯した祭りの頃になると、この場所もほのかな明かりに照らされて、中の十字架も見れるんですよ。
この礼拝堂のすぐ脇には、二人の神父が住居としていた窪地があります。 その近くには、水のみ場も・・・・
実は、こちらの場所に彼らをかくまっていたと言うのが、
岡藩の家老・古田重始(あの茶人で有名な古田織部の甥)であった。
彼の旧宅にあったという織部灯篭が竹田市立資料館に展示されている。
少し前・・・・もう以前からず~~~っと資料館の部屋の入り口付近の隅に、展示されていたけっこう大きな鐘がありました。 これはどう見てもキリシタン関連の印の付いたものでしたが、何故・・・・山間のここ竹田市にあるのかが、ず~~っと謎だったんだそうです。サンチャゴの鐘と言われるこの鐘の・・・調査が行われました。 どうやら元々は長崎の病院付属の教会が使用していたものらしくて、その所有者が・・・
国外追放にあった時に、船で持ち出すつもりが・・・病死してしまい・・・・長崎に残ってしまったんだとか・・・・それが何故か岡城内にあり・・・・お城が解放された時に、城外に持ち出されたんだとか・・・・
けれどやはり謎は残ります。 鐘には1612年の年号があります。
今は2012年の岡藩400年祭にて、原寸大のレプリカがつくられて・・・・
誰もが自由につけるようですよ! また中川秀成という殿様は、加藤清正公とも親交があったようで・・・・400年祭ではその書簡も公開されたんだとか・・・・さて、しばらく行っていないので・・・・今はどうか・・・・また近い内に行かせてもらいますね!(=⌒▽⌒=)


