
カンボジア国内を空襲してくるアメリカ🗽。
そしてそのアメリカと手を組んでいたロン・ノル首相。
その首相を、
ポル・ポト率いるクメールルージュが制圧した時、
カンボジア国民は希望に満ち溢れていた。
戦争が終わる。
平和になる。と。
クメールルージュに
『今よりも安全な場所へ避難する』
と言われた時、
だれが予想したでしょうか。
これから
20世紀最大・最悪の虐殺が始まると言うことを。
クメールルージュに連れていかれた農民達は、
強制労働を強いられ
二度と家へは帰れなかった。
そこは、機械もなく食事も十分に与えられず、
ただ手作業でひたすら米を耕すことだけが
許された。
会話も鼻歌も禁止。
1haに対して納めなくてはならない米の量が決められ、
(量を忘れちゃった)
そこが岩だろうと何だろうと
土地の条件に関係なく
ひたすらに強制労働が続けられた。
農民はおろか、
クメールルージュでさえも、
米の作り方を知らず、
それでも1日12時間も農作業をしたという。
また、クメールルージュは自身がかかげる
農村社会主義・
原始社会主義
を目指しており、
そう!
この政策でカンボジア国民から
『教育』を奪ったのです。
医者や教員などの有識者はみな家族ごと収容され、虐殺された。
海外からの帰国者、
伝統芸能や宗教なども禁止され、
すべて処罰された。
また、メガネをかけているだけで
有識者と見なされたという。
ポル・ポトが政権を握った
1975年4月17日
~1979年1月7日
までの
3年8ヶ月20日の間に、
犠牲者は170~300万人
と言われており、
収容所や虐殺場も200~300ヵ所
あったと言われている。
その中でも、
収容された人々の身分も全て抹消される位の
特別(悲惨)な収容所が首都プノンペンにある
S-21トゥールスレン
と呼ばれている場所でした。

