◼︎承認欲求に苦しみ、自家中毒を起こすワタシ

私はたまに自家中毒になる。
自家中毒とは、自分の中に発生した毒性物質によって自分で中毒を起こすことを言う。もちろんこれは例え話だが、自分で自分を追い込み、一人で落ち込んだり、気分が悪くなっている。

その原因は、自分や他人からの承認欲求だ。 

私はずっと、ひとかどの人間になりたかった。こんな努力じゃだめだ。もっと稼がなくては。もっともっと上へ行かなくては認められない、と奮闘していた。 


しかし、ふと気付いたのだ。いまの自分のルートは、間違いなくこのまま老いて、終わる。宣伝職は、宣伝職で終わる。それ以上には絶対になることができない。

うすうす感づいてはいたが、現実から目を背けていたのだ。私のルートでは、バラモスまでしか行けない。ゾーマへ戦いを挑むことはできないのだ。分かっていても動くのが怖くて自家中毒を起こしていた。


◼︎ひっくり返せない構造的ゲームにまんまと巻き込まれる

私の仕事はマーケティングと宣伝職。創造的な業務はあるが、作品ありき。ゼロイチで物事を作り上げる創造的職業ではない。いわゆる「支援部門」だ。

ひっくり返せない構造的な優劣にようやく気付いたのは30歳を超えてからだった。 
オイオイどんだけ無計画だよと自分で突っ込みたい。

当然、作る人間のほうが希少性が高いのだ。
業務の難易度が高いからである。

例えば、ピクサーやディズニーでは、要となるのは監督でありシナリオライターであり、アニメーター達だ。宣伝職がいったいエンディングクレジットの「どこ」に「どの大きさ」で掲載されているかを見れば、物作りにおける重要度の違いは明白なのだ。


構造的に低い位置でトップを取っても実績にはならない。物をゼロイチで生み出す人々や、ビジネスモデルを組み上げる人々には勝てっこないのである。



 ◼︎物をゼロイチで生み出すクリエイターと私との決定的な違い 

彼らは、私と決定的に何が違うのか。クリエイターは、ハイリスク・ハイリターンの勝負を仕掛けた歴戦の勇者たちだ。


自分の人生を見返した時、勝負を避けてきてしまっている人生だったことに気付き、悲しさと悔しさがにじんだ。幼少期から絵ばかり描いていて、そこそこ手先も器用だったが、絵の道には進まなかった記憶がフラッシュバックした。挑戦する前から、「できっこない」と失敗することを恐れていたからだ。挑戦する前に、自らの手で、自分の道を閉じたのだ。



◼︎これからをどう生きるか

失敗を恐れて、他人の目を気にしすぎた人生を送ってきた。相手から求められる回答を出すような、予測の範囲内で生きる人間だったから、すごく使いやすかっただろうと思う。
しかしそろそろ、「自分は人としてどうありたいのか」を主軸に生きてみてもよいのではないかと思っている。


①5年後、10年後から見た時、自分がいま進んでいる道の延長線上に、ゴールはあるか? 


②勝負をしているか?
おおきな見返りを得るには、リスクが伴うのは当たり前。勝負した人だけがリターンを得られるのだ。

③常に不安はつきまとうもの。ここまで歩んで来た自分のことも認め、受け入れてあげて。



白馬に乗った王子はやってこない。自分がラーミアやチョコボに乗って、自らの人生を駆け抜けなければならないのだ。


悔やんでいても、ラーミアもやってこない。飛んでくるのはデスゲイズだけだ。
もう2019年も半分が過ぎてしまった。 


まだ間に合う、という気持ちで、一歩を踏み出す勇気を持とう。 



智子でした

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