行詰まりや不幸は神が現われていない証拠です。

神様は遠いところにあるのではなく、
私の中にあって、常に私を守り導いておって下さることに気づかなければなりません。

神様を離れた私はなく、私を離れた神様もありません。
だから、私達は悪くなりようがないのが本当です。

悪くなるのではあるまいかと案ずるのは、
神様を抜きにして、私が一人で生きていると思い違いしておる時です。

神様に対抗する程の悪も力もありません。

私達はただ、神の前に平伏して、ありがとうございますと無条件降服する外はありません。
生きることも神様の御心なら、死ぬることも神の御心です。

私の力や甲斐性で出来ることは何一つないのです。
ただ感謝して、今を全力を出し切って生きる他はありません。

人生の目的は何ぞや。
富を得ることでもなく、名誉や地位を得ることでもなく、
本当のことを覚って迷わず、安心と喜びをもって生きることです。

池田首相も佐藤さんも、巨億の富も地位も名誉もみんな置いて、
魂だけが旅立って行かれたのです。
安心して行かれたか、喜んで行かれたか、それだけが問題です。

この世のものは、多かれ少なかれみんな預かりものです。
預かっている間だけの楽しみです。

しかし預かりものと知ることは、実生活において消極的になることではありません。
必要なものは必ず与えられることを信じて行動することです。

他人に迷惑をかけるのは神の子の生き方ではありません。
神の子は無限の可能性があり、神の導きと守りがあり、無限の知恵と力があるのですから、
思い付くままに積極的に行動すれば、必ず無限に道は開けるのです。

行きづまるのは神の子ではなく、心配するのも神の子ではなく、
必要なものは、必要に応じて与えられる生活でなければなりません。
必ずその通りになるのです。

神と常に直結し、神の知恵と力とを、
お腹の赤ちゃんが常にお母様と直結して栄養を受けて成長する如く、
常に受ける心境になることです。

それには神の無限性を信じて、ありがとうございますとの感謝を忘れないことです。
天地一切のもの、誰とでも調和することです。

神想観を怠らないことです。
これが先日の実相研鑽会の議題であります。

     『魂のめぐり逢い』藤原敏之先生著 152pより