星の巫女サイカー![]()
スピリチュアルメンタルトレーナーの
アマナステラです。
私は今週、四国の徳島に行きます。
毎年行われている7月17日開催の剣山本宮山頂大祭に参加してきます。
※剣山で受け継がれる7月17日の神聖な夏の例大祭は、ノアの箱舟が漂着した日、古代イスラエルの
「契約の箱アーク」が隠されているというロマンと深く結びついています。
四国地方に行くのは人生初なのです。
特に、剣山にはとても興味があり以前から行ってみたいと思っていました。
でもまさか、この夏に剣山に行くことになるなんて、数カ月前まで考えてもいなかったのです。
5月に友人との会話での事。
6月21日の夏至に友人は剣山にいるというので、茨城県鹿嶋(鹿島神宮)で祈りをする予定でいた私は、夏至のレイラインで鹿島と剣山は繋がっているからぜひ一緒に祈り合わせをしよう!と意気投合しました。
私は剣山はぜひ行きたいところだと話すと、一緒に行こうということに。7月17日と日にちもトントンと決まってしまいました。
5月末には出雲にも行くし、過密スケジュールが続いていたので、落ち着いてからゆっくり考えようと思っていて、友人に言われなかったら、7月の例大祭に合わせていくことなんてしなかっただろうな。
そのことが決まった少しあとから、度々「岡山」というワードが続きました。岡山に行ったという話。岡山に今いるよという話。岡山についての記事が書かれたもの。SNSで岡山に立ち寄ったという投稿などなど続きました。
続くと、あれ
また岡山って・・・
岡山をこれだけ耳にしたり、目にしたりするということは、近い将来岡山に行く流れができるだろうな、と思いました。
岡山は母方の先祖のルーツがある場所らしいのです。先祖が水戸に移り住む前は岡山藩士で、保守派と改革派の対立がありお家騒動で藩を追われ水戸に逃げてきたらしいのです。母方の祖母や祖父から受け継いだこの話はこの程度で、細かいことは分かりません。
この時点でお恥ずかしながら、岡山がどのあたりの地方にあるのかも知らなかったのです![]()
6月も半ばになり、一旦岡山ワードは収まって気に留めることから離れていた矢先、講座中の雑談で、7月に剣山に行く話や「岡山」のワードが続いていたけれど、最近は収まったんだという話をすると「わたし小さい頃岡山に住んでいました」というので、こりゃちゃんと岡山について調べようと思いました![]()
でもとっさにその生徒さんから、「剣山から車で2時間半くらいで行けると思いますよ」と教えてもらいびっくりです![]()
調べると徳島から瀬戸大橋を渡って岡山へ入れるなんて
(岡山の場所を知らなっかったばかりに)
これは、今回の徳島への旅のプランに入れなくては
となりました。
ここまですでになかなかのボリュームで書いたのですが、すみません
ここまでは岡山に行くことになったという前置きな感じで書きたい事はまだこれからなのです。
というわけで、今週徳島と岡山に行くことにしました。
岡山ワードは、先祖さんが送ってくれているんだろうと思い、どこを巡ったらよいか事前に調べようと、AIに相談しながら「岡山藩士の先祖をたどる旅」という形で質問し、お勧めの場所をいくつか出してもらいました。
(エピソードの本編はここから)
私の過去世は、幕末の岡山藩士で尊王攘夷に燃えていた上級藩士だったのか?
AIに岡山でめぐる場所の相談をしたりしていた翌日、私はとある霊能者のおじさんと会いました。
友人が私に合わせたい人がいる!!とのことで、おじさんの自宅に連れていかれました。よく状況が分からなかったが、その友人らしい誘い方だなと思い言われるままに・・・
お茶を飲みながら、2~3時間はお話ししたと思います。おじさんが経験してきた、霊能者としての人生の話や神々の話が面白くてあっという間に時間が過ぎていた。
そのおじさんは、私についてもいくつか
教えてくれた。
かなりの威厳がある古代龍がついてくれていること。(古代龍は頑固で融通がきかない部分もあり、あなたもそういうところあるね、と言われた笑)
それから、鹿島神宮にご縁があること・・・
なるほどな。
いわれて納得する(自覚がある)ことでした。
そして、私は結構あちこちに出かけているという話から、「今週は徳島と岡山に行きます。徳島は魂のルーツで、岡山は先祖のルーツの場所なんです」
と言うと、おじさんは
「どちらもあなたの魂のルーツだよ」
と言いました。
「え?岡山もですか?」
おじさんは「あなた岡山で武士だったよ。かなり上の方で家来が何人もいた。」
「え・・・・
岡山藩にいたのは私の先祖だぞ??
」
そしておじさんは言います。
「先祖っていうかあなたの過去世だと思うよ」
全身鳥肌が立った![]()
ちょっとさすがにそれはないな、と思ったのだけど
昨日AIに質問していたことを思い出した。
岡山藩を追われ水戸に流れ着いた藩士(北川新左衛門)きたがわしんざえもんについて
藩を追われた時期は1850年前後の幕末であろう。
岡山藩の藩主は水戸の徳川斉昭の9男の息子(最後の将軍徳川慶喜の弟)⇒池田茂政(もちまさ)
徳川斉昭の息子ということで、岡山藩主は尊王攘夷
(改革派)の思想がかなりあった。
改革派と保守派の意見対立で争いが絶えなかった。
それで、この情報に基づいておじさんに質問したことは、
「その藩士は尊王攘夷の思想を強く持っていたりしましたかね?」
おじさんは
「そんな感じ、そんな感じ、ものすごい頑固で影響力も強かったからな」
(まぁ、おじさんは合わせてそう言ったのかも知れない・・・)
実は、わたし2年半前ぐらい前から、天狗党(まさに尊王攘夷派)の慰霊で色々と動きました。慰霊のお祈りも企画しました。昨年の年末に福井や他県からも集まってくださり、天狗党だけでなく諸政党の慰霊も兼ねて。
わたしは、水戸の天狗党が本拠地としていた場所が先祖が住んでいた土地だったということで、こういったことをさせてもらっているんだろうと思っていたけど、もっと踏み込んで思想として強く持っていた先祖がいたんだ~と感心していました。
その矢先、それは自分の過去生?てか?
そこは半信半疑でございます。
おじさんが言うに、その藩士の名前が分かればもっとはっきりと分かるよ。と言われたのですが、その時私はその先祖の名前を水戸に移り住んでから使っていた「北川白駒」という名前しか分からなかったのです。
自宅に帰って、以前水戸の広報誌に記載された、
白駒(はっく)の娘の北川波津(はつ)についての記事を読み返してみたら、いろいろ紐解けました。
その記事がこちら
このまですっかり長い記事になってしまいました。
ここで一旦切りまして、実際に岡山の地に行ってからこの記事の続きを書こうと思います。水戸の広報誌に書かれていた情報を元に年代やその時起きた歴史などはAIにも手伝ってもらいながら。
とにかく岡山ワードがやたら届くことについて点と点が線になり、今週私は岡山に行きます。
徳島~岡山の旅を終え、その後報告も兼ねて
パート2も書きますので、読んでいただけたら嬉しいです。

