中二病的自己紹介。
羽衣天女あまのみこと
(観音菩薩の遣い)です。
ちょっと今日の記事は
怖いかも知れません。
怖いの苦手な人は読まないで下さいね。
夢見が悪くなると思うから😰
幽霊なんてどちらでもいいんです。
居ることにして置いても
居ないことにして置いても
どちらでもいいのです。
まあ、全ての人が納得出来るように証明する方法がない以上、論じても意味がないですよね。
というのが、信じない派の人の前でのわたしのスタンスなのです。
あ、そうか、あなたの前ではこの話ナシね。そうかそうか、分かった分かった🎵
…みたいな。
交わることのない議論を延々としても意味がないから。
信じることにも信じないことにも
それぞれ、メリットとデメリットが存在している。
だから、どちらでもいいんです。
まあ、個人的には信じています。
ていうか、いるでしょう。
それ知っておかないと、いつかお迎え来た時幽霊になっちゃうし👻💦
でも、死んだら終わり!もう次は無い!って思って真剣に今を生きるってことは、とても大事だから…
今を生きることに邪魔になるなら、人によっては信じないことが功を奏する場合もあるとも思っています。
今朝(これを公開する頃は昨日になっているのでしょうが)救いようのない悪夢を見ました。
まるで映画のようで、終わり方が、一層ホラーだったな…その後、抗い難い運命、絶望の結末が訪れるであろうと容易く想像出来るような、直前の場面で目が覚めました。
わたしはとある世界観の特殊な「追われる立場」の人間になっていて、ある権力的な人たちを欺きながらひっそりと生きていました。
しかし、どんどん取り巻く環境は悪化し、追い詰められ、逃げられない局面になり。
愛しい幼子(恐らく、『その夢の立場上のわたしの娘』)が手のひらをわたしに差し出した瞬間に、目が覚めました。
それをしたらその子の命も我々夫婦(その夢の中での立場上の夫婦)の命も『あいつら』に虐殺されるのは必至…という…究極的な、精神的にやけに追い詰められた夢でした。一つ一つ設定を説明すると非常に長くなるんで、辞めておきます。
予知夢の時の雰囲気に似てたから多分、生まれる前の自分か、「誰か」の思念か。
もしかすると今の自分の状態が良く無いからキャッチしたのか。
…まあ、それもただのわたしの主観なのでただの妄想様会話として聞き流して下さい。
何で急に悪夢の話なのかってね。
幽霊…浮遊霊の意識って多分、生きてる人間が夢を見てる感じなんだろうなと思うんです。
地縛霊の意識は、まあ悪夢でしょうね。
終わることのない悪夢を繰り返し見ている。
で、一つ言えることは…
人間てね、きっと生きてても死んでても、気をつけないと幽霊みたいな意識になってしまうんですよ。
終わったことを延々と繰り返して思い出したり、
起きてもいないことを取り越し苦労で頭をぐるぐるさせたり。
自分の思いの中で、落ち込み続ける。または怒り続ける。
今を生きていない人のマインドは、幽霊と同じです。
人は肉体を持って生きる覚悟を持たないと、自分の意識の中で生きていくしか無くなる。
で、思考回路はどんどん際限なくネガティブになっていくと。
で、その幽霊と同じ意識状態(心理学的には、反芻思考とか思考中毒、ぐるぐる思考などというらしいです)の人間は、本物の幽霊に好かれて取り憑かれ易い。
人間関係で、生きてる幽霊人間の愚痴を聞いてるうちに気分が悪くなってぐるぐるしてしまうこともありませんか?
考え過ぎでストレスを溜めやすい人、不運に見舞われ易い人は、他人や幽霊のせいにする前に、まずは自分の在り方を見直さなければなりません。
自分は憑依体質だとか、他人に愚痴られ易いとか、嬉しそうに言ってる場合じゃないんですよ。
(痛っ…イタタタ…って、自分かよ😂)
精一杯肉体を動かして行動して、諦めずに他人と言葉でコミュニケーションを取りながら、生きてるうちにだからこそ出来ることを、腐らずに、していかなくてはならないのです。
それが肉体を持って生きる覚悟なんです。
…あ、そうか、幽霊信じるか信じないかってお題でしたっけ。
肌感覚と第六感を除いた話をすれば、幽霊は、夢か現実かわからない状態でなら2回ほど見て、喋ってる声を聞きました。
亡き父は普通に?夢でたまに出てくるんで、ノーカンかな。
1年から2年くらい前かなあ。
寝入り端に…
ミシミシって足音させながらね、布団で眠るわたしの周りを何がが徘徊してるんですよ。
足の気配だけ感じました。
うわぁ、嫌だなあと思って無視しようと思ったんですけど。
男とも女とも言えない声?が
なんかわたしの心に直接話しかけてくる感じで、
『お前をイライラした気分にさせてやる…』
って言われましたね。
まるで生き霊か怨霊…😰
…うん、それからねえ、本当にイライラすることが大分長く続きましたね💦
ええ、つい最近まで。
怖くて今まで誰にも言えなかったんですけど。
後は…
(結構怖いよ…?💦)
13歳くらいの頃、夜中に急に目が覚めたときに、2階なのに窓の向こうに青白くて、でも多分血だらけ傷だらけの、髷の解けたボサボサ頭の、首だけの落武者が無念そうな顔でこちらを見ていました。
そして、遠くから何者たちかの集団が近づいてくる気配がしました。
錫杖を鳴らしている僧侶の集団が2列ぐらいでそこ(自分の部屋)をザックザックと通りました。20人前後?
落武者は何にも言って無かったけど、僧侶の集団は、読経をしてました。どこの宗派のお経かは思い出せないんですが。
うーん、旅の「行者」かな?
蓑傘をつけていました。
あれ…僧侶もいたかもだけど…もしかしたら、鎧で武装してた人もいたかな?
随分草臥れた格好をしてたような、と後からふと思い出しました。…「落人(おちうど)」?
なんか訳あり風だったな。僧侶の読経にしてはなんか、嫌な感じがしたしなぁ。
行者でも落人でも幽霊になりやすそうですが。
何だかよくわからないけど、とにかく怖いんで、咄嗟に私も試しに知ってるお経をあげてみたら、ますますお経の合唱が大きく(近く)なって、げぇ!っとなりました。
…普通に怖かったですよ?
昔の格好をした、知らないオッサンたちのお経の合唱って。
ベッドのすぐ側まで来た感じがしました。
しかも怖くて目を瞑ると、姿は見えないんだけど声は更に大きくなる…
毛布にくるまりながら無理矢理もう一度寝ました。
もしかしたらそういう夢をみていた、のかも分かりません。
何せ、もう30年以上前のことなんで。
ところで、
一説によると…
いい夢を見た時は、
いい夢を見れて良かった。
嫌な夢を見た時は、
現実ではなく夢で良かった。
そう思う為に夢を見るそうです。
悪夢も、目の前にある救いようのない厳しい現実も、根本的には同じなのかも知れません。
苦しみにもいつか終わりは来る。
絶望もまた、いつか過ぎて過去になる。
だから一所懸命にただ目の前のことに臨むしかない。
過ぎたことの余韻にいつまでも引きずられることなく、常に今を生きるしかない。
夢を見ることよりも、現実の創造が先。
今の現実が納得が行かないなら、精一杯現実を変えていく努力をすることが、目を覚まして生きていくことなのかも知れないですね。
悪夢と違って現実は、自分次第で変えていけますから。
夢はただの記憶の整理だから、いちいちそこに意味付けをする意味は全く無いという人もいるのかも知れませんが…
自分に起こる出来事は全て、自分が幸せになれるように解釈して行きたいと思っています。





