言うまいと思ってたことの一つなんですが。
ベンゾジアゼピンて、
確かに依存性あるけど…
まぁ、使い方だよなぁ。
本当に眠れない強度不眠の人に、頓服または短期間少量用いることに関してまで、絶対にダメって言う程なのかしら。
この世から無くなっちゃえ!
とか言う程のものなのかしら。
…果たして?
オープンダイアローグという統合失調症(等)に対するアプローチがありますけど。
極度の睡眠不足は、例え健康な人であっても、幻覚や妄想、思考の混乱、暴走が問題になります。
薬物治療より対話を大事にする本場フィンランド🇫🇮のオープンダイアローグですら、本人が対話が出来る程度にシラフの状態に持っていく為に、睡眠薬を使ってる訳なんですよねぇ。
だから、まあ、生活を立て直すために、自我を守る為に、一時的に、眠剤が必要な時もあるんじゃないですかねぇ?
確かにあまりにも処方する側が節操なくて、無知、無能、無自覚だから、長期間ダラダラと処方し続けるから、今の現状があるのでしょう。
本当にその点は如何ともし難いですが。
それは、処方する人間に問題があるわけで、別に眠剤の存在は悪だとは思いません。
時には眠剤を必要最低限、少量、短期間服用することによって、「統合失調症治療薬」を飲まなくて済んで、尚且つ日常生活をリカバリー出来ることもあるんじゃないですかね。
7割の人に効かない上に自殺衝動が起こりやすい「抗うつ剤」を漫然と飲むよりだいぶマシなんじゃないのかな?
と思ったり。
女性が妊娠、出産するのに深刻な影響が出る上に有効量と致死量の差が少ない、何気にかなり危険な「気分安定薬」や「抗てんかん薬」を、闇雲に長期処方するよりマシなんじゃないのかな?
と思ったり。
優先順位、間違っちゃダメだよな。
優先順位を間違わずに居られるくらい自分が正気なら、別に何を飲んでてもいいと思う。
そりゃあ、何も飲まないに越したことはないけれども。
それって、他の全ての薬にも、全ての医療にも言えるんだよなあ。
あれはダメ、これはダメ、という強迫観念とか、やたら地雷を増やすことは、どんどん生きづらさを増やして行くんじゃないですかね。
それを避ける為に、ますます悪い状態になってない?
言ってみればこの世は、特に日本は、医療の薬の問題だけでなく、添加物やら農薬やら汚染物質やら偏向報道やら毒だらけですけれども。
誰も彼も政治や社会に無関心で、悪良識が世間に浸透し、学校教育まで掬っている部分も、確かに沢山ありますけれども。
その世の中で強く逞しく生きていくにはね、もっと柔軟にならないといけない部分もあるんじゃないのかしら。
こだわりもある程度はいいと思うけれど、何事もフラットに捉えて自分にとって必要なものを取捨選択していく。
それが必要なだけであって、単純に毒を断てばOK、お薬を辞めたらハッピーってことでもないよな。
あれはダメ、これはダメ、あれは悪、これは正義、あの人は嘘つき、この人の言ってることは本当だ!
そういうの、希求したいの?
んーーーー。
…だからそれが、生き辛さの原因なんじゃありませんかー?
ちょっと潔癖すぎやしませんかぁ?
万人にとって正しいことを言っている人が必ずいると信じてる?
誰かが本当のことを知っていると思ってる?
数分も違わず正しい、権威の人がどこかに存在すると思ってる?
自分を納得させてくれる誰かがどこかにいると、何かがこの世にあると、信じてる?
もしかしてずっとずっと探し続けてる?
…居ないし。
…無いよ。
見つけても、まやかしだよ。
精々その場しのぎ。
常に外側に向かって悪者探し、
又はホンモノ探ししてるから、
内側がボロボロなんだよ。
グーラグラ、なんだよ。
歯槽膿漏なのよ。
だから、出来事を咀嚼するチカラがないんでしょう。毎回おんなじパターンの罠に引っかかってさ。
と、昔の自分に似てる全ての人に思う。
たどり着いたと思って、
いくら自分は本当のこと知ってるよ!
って叫んでもさ、
いくら知識を仕入れてひけらかしてもさ、
自分にとっての本当のことであって、
万人共通ではない。
だから、最近は知識のお披露目会的な会話の場になると頭が白けてしまい、自分から喋りたく無いので基本黙る。
「医学的には…」「東洋医学によると…」「〇〇の権威が言うには…」「哲学者は…」「仏陀は…」も含めて。
自分はこう思う、だから真実だ!と押し付けてくる人に対しては…
へーえ、あっそう。
と思うだけですよね。
それ、わたしから見たら全部ただの宗教だから。
悪いけどわたし、自分教しか信じてないの。
どの教えも、自分教に近いものを代弁してくれる部分を好んでいるだけ。
でも、他宗教の人をどうこう言ったりしないよ?
テーゼにはアンチテーゼが必ず存在することも知っているしね。
それらを、アウフヘーベン、統合していくことの方が、余程大事だと思っているから。
ええと、本当にごくごく、個人的な話ですが。
こんなブログなんて書いたってしょうがない、自分の言いたいことを身近な人にすらハッキリ伝えずに、不特定多数相手に承認欲求を満たしても意味がないだろうと。やってることはただの甘えなんじゃないかと。構ってちゃんなんだと。
ある人に言われまして。
まあ確かに。
そういうことろもあるとも思った。
そして、そういう飾らない意見を率直に言って貰ったこと自体は嬉しかった。
どこぞの馬の骨からのコメントやメッセージだったら別に箸にも棒にも引っ掛け無かったんだけど、その人はわたしにとって大切な人だったから。
ただ、自分の論理の組み立てで相手をこうだと決めつけて、呪いの言葉を吐いてるということには気が付いてるのかな?
とも思った。
他人のやってることに対して、そういう冷たく呪わしい言葉の解釈が思い浮かぶこと自体が、自分の中の抑圧、頑なさ、地雷の多さの顕れじゃないかな。
つまり自分自身が自分に許可していない弱さを持ってる他人を見つけて、断罪したいだけ。
許せないって、ただの弱さだから。
そういうの出来れば辞めた方がいいんじゃないかな?
とも感じた。
多分、今までわたし以外に対しても、何人もの人をその弁舌でやっつけてきてるよね。
何人に勝って来た?
さぞ快感だったろうね。
そういう唯我独尊的な人間らしさは個人的には嫌いじゃないけれど。
例えば、誰かの、何かのアンチブログ書いてる人とかさ、本当に頭良さそうだし。
もう何十年も同じ人について追いかけて書いてる人いるよね。その恋に近い情熱、すごい…もしかして誰よりも深く愛してんじゃねーの?とか😂
(知らない人はピンと来ないだろうけど例えばアンチ子宮系の人たちなんか。笑)
まあ、そういう在り方もどういう在り方もアリなんじゃないのって思うから。
真似はしないけどな。
単なる嫉みだよね、僻んでるだけだよねとか言ったら、どうせ血管浮き上がらせて怒るんでしょうし?
ただ、
あなたの考え方の癖は随分、冷たくて呪わしいですね、それは自分のことを常に呪ってるからなんでしょうね。
…とか口にしちゃうのも、それこそ呪いの言葉だろうと思ったので思わず黙ってしまった。
その気になればもっと冷たい言葉も言えたけど、何も言い返さないことを選択した。
呪いの言葉の応酬で勝っても、後味悪いだけでしょーよ。
しばらく落ち込んでた。
文章書けなくなってた。
けど、、、
へーえ、だから何?
まあ、結局、好みやろ?
スタイルやろ?
何を選択するかやろ?
と持ち直した。
(いまここ)
なんらかの形でずっと文章を書き続けてね、言葉を紡ぎ続けてね、と夫も含めて今まで出会った何人もの人に言って貰って今のわたしがいるわけで。
(なんて偉そうに言えるほどは、このブログは読まれて無いけどね😅)
確かに迷走しているし、
何がやりたいのか、何が言いたいのか分からなかったのだろう。
わかる。
わかるわ〜。
そりゃそうよね〜。
だって自分でも分からなかったもん。
わたしも探しているところだったから。
わたしがわかってなかったから。
もう少しで何か掴めそうなんだけれどな。




