精神疾患に見えるものの正体

〜NLPの視点から〜




先日、発表会のために娘と連弾を合わせることになり、レッスンの日に私も一緒にピアノを弾きました。

先生はいつも優しく、娘をのびのびと指導してくださる方です。緊張する理由などどこにもありません。

ところがその瞬間、胸の奥から恐怖と焦りがせり上がり、脈拍が跳ね上がりました。


――そのとき私は、自分の身体に起きた反応がPTSDの場面再演であることを自覚したのです。


血流やホルモン、脳内物質の動きまで、まるで子どもの頃の自分と同じ。

「私は毎週、この恐怖を“普通”としてピアノのレッスンを受けていたのか」と、背筋が凍りました。




 恐怖に支配された日常



恩師が特別に厳しかったというわけではありません。

むしろ、ピアノを始めるずっと前から、私はその状態を抱えていました。

「怒られる」「見捨てられる」――そんな恐怖に日常的にさらされ、体は常に緊張モード。


大人になってからも、恐怖は私の思考と行動にブレーキをかけ続けました。

ここ数年は忘れていましたが、それが私にとって当たり前の日常だったのです。

…本当によく生き延びてきたと思います。


こうして思い返すと、「発達障害」や「精神疾患」と診断される多くの状態は、実は**恐怖にさらされ続けた心身の“学習反応”**なのではないかと思うのです。




 NLPで読み解く「再演」



私はNLPマスタープラクティショナーでもあります。

NLPでは、過去の体験が脳と身体にプログラムのように記録されると考えます。


ある状況で恐怖を感じると、そのときの呼吸・心拍・姿勢・感情が丸ごと保存され、後になって似た状況に直面すると自動的に「再生」される。

これが「アンカリング」と呼ばれる現象です。


つまり、あのピアノの場面で私が体験したのは、ただの偶然ではなく、

子どもの頃に刻み込まれたプログラムが作動しただけなのです。




 精神疾患に「見える」もの



人は、不安や恐怖に支配されると判断力を奪われ、ときに本能さえ狂います。

だから、その反応が続くと「病気」とみなされる。


けれどNLP的に言えば、それは「壊れた脳」ではなく、生き延びるために学習された反応です。

無意識に子どもを恐怖にさらす大人はその心を傷つけ、意識的に恐怖を利用する人は人を支配します。

そのどちらもが「まともな心」を奪っていきます。




 子どもを守るために



結局のところ、精神疾患に見えるものの正体は、

「恐怖と不安の中で生き抜いた痕跡」にすぎません。


だからこそ、子どもをコントロールしようとする気持ちを手放し、

あまりにも行動が逸脱したときには「もう知らない」と突き放すことも必要です。


人はときに「見捨てられる経験」によって自由を取り戻します。

それは恐怖ではなく、むしろ再び立ち上がるためのきっかけになるのです。




 おわりに



精神疾患に見えるものの正体――

それは壊れた心ではなく、恐怖にさらされ続けた心身が必死に生き延びた証。


NLPを通してその仕組みを理解すれば、私たちは「病気」として諦めるのではなく、

「生き延びた力」として見直すことができるのです。
















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