福祉の中にいる人、特に発達障害当事者にはかなり厳しめの文章です。
閲覧は自己責任で。
子どもの頃から、ずっと考えてきたことがある。
親だろうとほかの大人だろうと、みんながみんな教育、ものを教えることが、本当に下手くそだなと。
確かにわたしは物覚えが悪いかも知れないけれど、出来たと思ったら何かが抜けていたりするけれど、しばしば教える人が、「知らなかった頃の自分の気持ち」を忘れているから伝わらないんだよなと。
若しくはもともと何でも出来る人なんだろうなと。
だからいちいち苛々するんじゃない?
自分の視点でしかものを見ないから相手に嫌われるんだよ。
もっと上手い方法があるんじゃないのかなと。
そんなことを幼稚園の年長の頃から考えていた、思えば鼻持ちならない子どもだった。
上手に人にものを教えられる人なんてプロでも限られた一部の人なんだなと今は思う。
いやいや、難しいよね。
教え方、というものを実践で体験しながら学んでいる人はとても上手いけれども、一方で、プロだからこその盲点というものも生まれるんだと思う。
…だって、教師の子ども、もれなく全員、問題なく育ってますか?
たぶん完全無欠な「教える人」なんて居ない。
世の中には不完全な親と不完全な師しか、元々居ないのだろうと考えた方がいい。
そんななかで、たまたま当たりに出会えたらラッキー、程度。
結局は自分自身で主体的に学ぶということをしないと人間は変われないし成長出来ない。
自分に篭って色んなことを見過ごしながら生きてるんだなあ…とある職場の人に対して思う。
昔の自分のようで、ああ、自分も多少そういう時あったなと思って顔が赤くなる。
しかし、自分の仕事はここまでと勝手に決めて自分がやりたいことだけやって、
苦手なことからとことん逃げて結果他人に丸投げして、
挙句、他人の仕事を勝手に取って迷惑に頑張るので、
仕方がなく仕事を譲ると「自分ばかり働いてる、苦労している、自分は頑張っている」とごねられたら、いくらなんでも…
こりゃ悪いけど存在が公害レベルだなと。(酷いですよね、すみません。血の滲む努力をして自分を変えて来た自分には、こういう人に優しい気持ちを抱くのは非常に厳しいです。)
え、今その学びしてるのw
その歳でその視点なんだ…ww
今までずっと学んでこなかったんだwww
全く周りが見えていないけど、ぼくちゃん、いくつ?
…などとは口には出さないが🤫
自分もかなり癖の強い人間で、もちろん完璧ではない。というよりかなりポンコツだ。
しかし、それを世に言う発達障害とか言い切ってしまうと色んなことが見えなくなることもある。
周囲が理解して配慮して苦労を取り除いてしまったらそれはそれで…その人はずっとそのまま常に誰かの、コミュニティの、お荷物かマスコットで居続ける。
ああ、言葉が冷酷でごめんね。
これが素なものでね。
その人は子どもの頃から今まで守られて生きて来たんだろうな。
社会に出れば、勉強さえ出来れば学歴と終身雇用制度で守られてたということだ。
世代だねえ。
簡単に人をクビに出来ない時代だったんだろうな。周りに迷惑かけまくっても。
役にたたない人間からどんどん容赦なく切られてた氷河期世代の自分からしたら、なんというか、おめでたいわぁ。
役に立たないだけならいい。無制限に余計な仕事増やしてんじゃねえよと。
問題は自分が実は守られてることに無自覚で、自分は社会でも家庭の役割でも、十分にやっていて、自分1人で世界中の苦労を背負ってるつもりでいることだ。
自分の苦労や成果にこだわるあまり、他人のことには無関心。だから他人に苦労を強いてることに無自覚なまま。
少しでも自分を否定されれば逆上する。
ああ、この人そういう人なんだよねって、
否、子どもの頃からそういう子なんだよねって、言っても分からないんだよねって。
周りが諦めて育て増長させた結果なんだろうね。
しかし本人も苦労してるんだろう。
たまに世界中の苦労を独りで背負った顔をしている。
ケッ…守って貰ってる癖にと呆れると同時に、とても哀れな気分になる。
今まで誰もこの人を救えなかったんだなと。
都合のいい誰も救わない偽物の優しさしか貰った事ないんだなと。
あなたの苦労は知っているよ。だから求めない。
だけどあなたはあなたの周りの人の苦労を知らない。だから寂しいままなのよ。被害妄想に囚われたままなの。
お気の毒様ね。
守られてる社会的地位のある年配の人は、ものすごい割合でいる。
それで、堂々と他人の人生を左右する立場に居たりする。
そうしてマスコットとして君臨している。
まあ、具体的に誰とは言わないけれど。
そういうことを見て見ぬフリをしながら、まるで目を背ける(背けさせる?)ように、発達障害診断は主に若い人たち、子どもたちがターゲットとなっている。
または、下々の人間の罵り合いの材料として、発達障害という言葉が存在する。
偉い人たちは除外。
しかし、医師という立場の人たちにも、確実にそういう人っていて。
自分自身が他人の気持ちが分かってない状態で、エリートコースを歩んできた医師が、一般家庭の庶民の家庭の環境、親や子どもの気持ちを全く理解出来ない状態で、平気で老若男女の患者に病名をつけてるのですな。
本当に、滑稽に思えてしょうがない。
え?
あなたが言う?!
…みたいな。
そこですよ。
やはり医療には答えがないと思うのだ。
お薬でどうにか出来ると思ってる頭でっかち。
子育てとか人間教育とか、机上の空論で出来るんだと思ってんの?
医療というフィルターを通さずに社会を、人間を見れてるの?
自分は家庭でどんな人間なの?
もっともらしい論文書く人がちゃんと父親という役割、出来てるのかい?
ほとんど出来てないだろう?
子どもが居ようと居まいと、関係ない。
人を育てたことあるのかい?
闇雲な厳しさじゃなくてね、本人を信じた上で突き放し、本人にやらせる、そして時に敢えて失敗させるというような、そういう関わりしたことあるのかい。
最低限、社会で人とぶつからずに、寄りかからずに生きていけるようにするための関わりは、母親だけじゃ、母性だけじゃダメだよね、父性が要ると思うよ。
理解してあたたかく包み込むだけじゃ無力、それどころか助長させてモンスターにする。
ただ無制限に優しくするのは本人の強さや生きるチカラを信じてない冷たい行為だと思う。
自分が相手に障害者というレッテルを貼ってるから、見下して諦めてるから、上部だけ優しくなれるだけじゃないか。あまりにもその場限りで低次元だよ。少しは先のこと考えろ。
感情的に善悪だとか道理を押し付けてもダメなのかも知れないけれど、全部苦労を取り除いたらダメだよ、やっぱり。
仕事も家事も人との関わりも、生きていく術全てに関して、教える、伝える、多めに見るだけじゃダメ。
ちゃんと本人が本人なりのやり方でやってみて、我を通した結果、見事に失敗したりしなきゃだめ。現実を突きつけなきゃダメ。
時に現実に打ちのめされ、尊厳を傷付けられることも必要。
現実を突きつけられないと変われない人もいるのだ。
時に他人との軋轢を感じて、嫌われて、失敗して、自己嫌悪に陥って、そういう自分を俯瞰する機会を奪ってはダメ。
やらかし、をしてどん底から這い上がる経験もしないとダメ。
自業自得の責任を負わせないとダメ。
自分のダメさを思い知ることでしか学べないことは沢山ある。
でも日本ではほぼ全ての大人が失敗恐怖症だから、誰もそんなふうには教えられない。
未発達の原因は経験不足なのに、その一番必要な経験を奪うだけ。
今の社会は優しさの皮を被った不寛容社会。
福祉とか一部の人間が気持ち悪い程に甘やかして、暴れたら薬で押さえつけて、一生マスコットで居させるつもりなんだろう。
昔と違って今は、校舎の窓ガラス割ったりしたら薬盛られるからね。
うっかり、ヤンキーにもなれない。
だから回転寿司でお醤油の口を舐めるとかショボイことしてとんでもない大ごとになったりすんのよ。
今の時代は馴れ合い、共生社会に思えて、実際は企業に選ばれて順風満帆に生きる為には、少ない椅子を奪い合わなくてはならない競争社会でもある。選ばなきゃいくらでも仕事なんてあるし、作れるのにねえ。
だから診断を受けて病名がつくと…競争社会から逃げられて楽になる気がすることも、あるのかもね。
でもね、それだと逃げ切れてないんだよ。
ピラミッドの一番下の礎にされてるだけなの。
精神医療という牧畜産業の餌になる訳だから。
福祉はこぼれ落ちる人々を救うものではない。
隔離して周囲と断絶させて医療や公的扶助に依存させて飼いならすだけだからね。
逃げたいならピラミッドそのものから抜けた方がいいんじゃないかなって思うんだよね。


