2022.01.02

文体、野口晴哉先生の本読んた後に書いたらこうなったらしいw







身体の声を聞くということは、自分自身の身体を愛すること。

身体を自分の子どもだと思うこと。

子どもを優しく見守る理想的な親の態度で身体を愛すること。





身体の声を聞くということを誤解している人が多いように思う。

身体の声を聞くと称して、全く聞けていない。

声を聞かずにただ見張っているのだ。



過度に病院にかかる。

過度に敏感に見張って管理して行動制限をする。



そして誤解のパターンはもう一つある。



腸内細菌や体液などのバランスが崩壊すれば身体を破壊するような異常な欲望が衝動的に湧き上がる。




だが、腸内細菌や体液バランスの不均衡に操られ、とち狂った自分のことを「今自分は身体の声に素直に行動しているのだ」と思い込んでいる場合がある。







陥りやすいそれらの状態は、まるで自分の身体に対して毒親のように接している状態なのだ。




毒親はしばしば次に叱るタイミングを待っているかのように子どもの行動を見張る。(過干渉)



又は、子どもが失敗しないように困難を先に取り除く為に子どもの環境を見張る。(過保護)



又は、子どもを乱暴に扱ったり(虐待)放置(ネグレクト)する。




その結果、子どもがヘソを曲げてしまう。



ヘソを曲げた子どもが言い放った言葉や態度を子どもの本心と信じ混む。



この子は生まれつき、とんでもない子なのだ、弱いんだ、ダメなんだ、能力が低いのだと差別し、



たまたまタイミングの悪かっただけのことや、環境も含めてやることなすこと結果すべてを子ども本人のせいと決めつけて見張る。(もはや呪い)



そういった毒親のすることを、自分の身体に対して平気でしている人がいかに多いかと思う。



叱る代わりに病院に行き、薬を飲んで体の自然治癒力を衰えさせる。

風邪の予防と称して消毒液で手の常在菌を殺す。

明らかにバランスを欠いた食生活や体を虐める習慣を改めない。



精神の不安定さから、我が子と同等である自分の「身体」に、

過干渉、過保護、虐待、ネグレクトをしていないだろうか。

そうやって身体の病気は作られていく。



親の精神の不安定さから、子どもの体調や振る舞いに過干渉、過保護、虐待、ネグレクトをしているから、そうして子どもの問題行動や病気は作られていく。



つまり身体の声を聞くということは、この毒親と逆のことをすればいい。




見張るというのは根底にあるのはエゴや不安である。

見守るというのは、根底にあるのは信頼や愛情である。




親という字は、立って木の上から見ると書く。



それと同じように、身体をただ観察する、そして理解する。そして、時には信じて待つことが必要なのだ。



そういったことをするのが苦手な人は多いように思う。

つい無闇に病院に行き、診察を受けて、やたらに薬を貰って飲む。

病院が開いてなければ慌ててドラッグストアに薬を買いに行く始末である。



このように、多くの人たちが自分の身体にしていることを、まるで毒親の所業と言わず、ほかに何と言えばいいのだろう?



命に関わるような持病がない限り、医者になど行かないのが正解なのである。



いつも体の声を聞いてさえいれば、本当に医者が必要な時は、自ずと分かる筈なのだ。