わが国の歴史小説に欠けているもの、それは世界史である。世界に対する認識、他国や他国民に対する冷徹な分析が欠けている。その結果、日本人は正しい世界観を育てることができない。戦後日本文学は鎖国している。その欠陥は、つまり日本人の欠陥といってもよい。
「平和を愛する諸国民の公正と信義」
日本国憲法前文に書かれているこの言葉は虚構に過ぎない。その虚構性を暴くことをせず、戦後体制という殻の中にあって、殻の厚みを増すことだけが奨励され、殻を破ろうとする試みが文学界には欠けていたのである。
もちろん敗戦という歴史的事実を前にして、自己分析を行うことは大切であったし、反省は十分に行われてきた。日本史は歴史小説の題材として料理されつくしたともいえる。あまりにもやりすぎて過剰なまでの反省と異常なほどの自虐を生むまでになってしまった。
自己分析が大切なのと同様に、他者分析が大切であるのは当たり前である。ところが、この他者分析を放置してきたのが戦後日本である。日本文学は世界に鋭いメスを入れ、その内蔵までを透徹した眼で観察しなければならなかった。アメリカという国はどんな国であって、アメリカ人はどんな人々なのか。その欺瞞、悪意、悪徳、罪悪、そいうったものを冷徹に描き出さねばならなかった。アメリカだけではない、中国、韓国、ロシア、イギリス、フランス、ドイツ、全ての国々に地政学的分析眼を向けねばならなかった。
今からでも遅くはない。日本文学は世界史を題材とし、世界史小説を書かれねばならない。世界はパラダイスではないことを描出せねばならない。世界史小説が数多く書かれぬ限り、「閉ざされた言語空間」はいつまでも閉ざされ続けるであろう。