私が初めて本多勝一の文章に触れたのは高校一年の時である。
どこの学校にもひとりやふたりは変わり者の先生がいるものだが、地理の堀田先生も変わっていた。教科書を開きもせず、ひたすら雑談をしゃべり散らした。私はその雑談が好きだった。学校への不満、妻への不満、政治談義から書評まで雑談の中味は多種多様だった。ある日、堀田先生は「極限の民族」というルポルタージュの話をした。カナダエスキモーが超人的な視力を持っていること、ニューギニア高地人がペニスケースを付けていることなど、高校生の興味をひくような話だった。その日の授業が終わると、私は友人といっしょに最寄の書店へ行った。女性店員に聞くとカラーグラビア入りの立派な単行本を出してきてくれた。しかし、高校生の小遣いで買うには高価すぎた。
「どうしようか」
二人して迷っていると、女性店員は安価な文庫本を紹介してくれた。
「これなら買える」
私が「ニューギニア高地人」を買い、友人が「カナダエスキモー」を買った。後で交換して読んだ。いま思いだしても、優れたルポルタージュだと思う。以来、私は折にふれて本多勝一の本を読むようになった。ノンポリだった私は、本多の思想的左翼傾向には鈍感だったが、本多の文章が持つカミソリのような論理に感心した。「日本語の作文技術」を読んで、その実用的な作文技術と、毒を含んだ文法学者批判にほれぼれした。イザヤベンダサンこと山本七平との誌上討論は、明らかに本多の勝ちだと私は思った。綿密な現地取材によって仮説は検証されるべし、という志の高いジャーナリズム論にも憧れた。そんな私はやがて「中国の旅」を読んだ。
騙すというのは、一方で信用させておいて、他方で騙すことである。その意味において私は見事に騙された。昭和三十七年生まれの私は、ごく自然に当時の左翼的な世相に影響されていたらしく、「中国の旅」に書かれている内容を素直に信じてしまった。まだ若かった私は、活字になって出版されているものに嘘があるとは思っていなかったし、まさか新聞が嘘を書くなどとは夢にも思っていなかった。高校の現代国語の教師は「試験に出るから朝日新聞の天声人語を読め」としつこく教えてくれたが、「新聞にも嘘があるぞ」とは忠告してくれなかった。
結局、私が騙されていたことに気づくまで二十年近くの年月を要した。
どこの学校にもひとりやふたりは変わり者の先生がいるものだが、地理の堀田先生も変わっていた。教科書を開きもせず、ひたすら雑談をしゃべり散らした。私はその雑談が好きだった。学校への不満、妻への不満、政治談義から書評まで雑談の中味は多種多様だった。ある日、堀田先生は「極限の民族」というルポルタージュの話をした。カナダエスキモーが超人的な視力を持っていること、ニューギニア高地人がペニスケースを付けていることなど、高校生の興味をひくような話だった。その日の授業が終わると、私は友人といっしょに最寄の書店へ行った。女性店員に聞くとカラーグラビア入りの立派な単行本を出してきてくれた。しかし、高校生の小遣いで買うには高価すぎた。
「どうしようか」
二人して迷っていると、女性店員は安価な文庫本を紹介してくれた。
「これなら買える」
私が「ニューギニア高地人」を買い、友人が「カナダエスキモー」を買った。後で交換して読んだ。いま思いだしても、優れたルポルタージュだと思う。以来、私は折にふれて本多勝一の本を読むようになった。ノンポリだった私は、本多の思想的左翼傾向には鈍感だったが、本多の文章が持つカミソリのような論理に感心した。「日本語の作文技術」を読んで、その実用的な作文技術と、毒を含んだ文法学者批判にほれぼれした。イザヤベンダサンこと山本七平との誌上討論は、明らかに本多の勝ちだと私は思った。綿密な現地取材によって仮説は検証されるべし、という志の高いジャーナリズム論にも憧れた。そんな私はやがて「中国の旅」を読んだ。
騙すというのは、一方で信用させておいて、他方で騙すことである。その意味において私は見事に騙された。昭和三十七年生まれの私は、ごく自然に当時の左翼的な世相に影響されていたらしく、「中国の旅」に書かれている内容を素直に信じてしまった。まだ若かった私は、活字になって出版されているものに嘘があるとは思っていなかったし、まさか新聞が嘘を書くなどとは夢にも思っていなかった。高校の現代国語の教師は「試験に出るから朝日新聞の天声人語を読め」としつこく教えてくれたが、「新聞にも嘘があるぞ」とは忠告してくれなかった。
結局、私が騙されていたことに気づくまで二十年近くの年月を要した。