事大主義といえば、かつて李氏朝鮮政府がくりかえした外交姿勢のことである。十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、李氏朝鮮政府は、ロシア、清国、日本という強国の間で揺れ動き、常に強いと思う国に追従した。それは外交などというものではなく、節操のない無定見な方針転換の連続だった。

事大主義などは他人事だと思っていたが、そうではないらしい。戦後の日本外交はまさに事大主義になりさがっている。戦後の歴史をふりかえってみれば、日本こそ事大主義の国だというしかない。アメリカ、中国、そして韓国、北朝鮮。いったい、なぜ、これほどまでに外国政府からの内政干渉を唯々諾々と許すような事大主義国家に成り下がってしまったのであろうか。

日本の事大主義ぶりを小沢一郎という政治家の事績に見ることも可能であろう。かつて小沢一郎が自民党幹事長として権勢を振るっていた頃、アメリカの圧力に屈して大規模小売店舗の立地規制を緩和した。その結果、地方都市の駅前商店街はことごとく衰退した。さらにはアメリカの対日赤字を軽減するため大規模な内需拡大を約束した。中曽根内閣の頃である。日本政府は十年間で五百兆円という馬鹿げたほどに巨額の公共事業を実施したのである。インフレの時期に公共事業の大盤振る舞いをした結果としてバブル景気が招来され、しばらくの狂騒の後にバブル崩壊となった。バブルは日本各地に不良債権の山を築いて終わった。そして経済学の原則通り、インフレのあとにデフレが来た。それも長期デフレである。まさに踏んだり蹴ったりの経済失政ではないか。今日なお日本経済はデフレから脱却できないでいるが、その原因はアメリカの対日要求を事大主義的に受け容れた小沢一郎にこそある。その後、紆余曲折の後に民主党幹事長となった小沢一郎は、今度は中華人民共和国に追従した。アメリカの次は中国であるらしい。その変節ぶりこそが事大主義なのである。小沢幹事長は大議員団を引き連れて訪中し、習近平副主席の天皇拝謁を強行した。その節操の無さはまさに李氏朝鮮のようである。小沢一郎は本質的に事大主義的性格なのかも知れない。そもそも田中角栄の子分からはじめ、後に竹下登、金丸信と親分を乗り換えた小沢一郎の政治スタイルはまさに事大主義的である。小沢一郎は何者かの傀儡としてしか機能できない人物らしい。

もちろん小沢一郎だけの問題ではない。日本の歴代首相はアメリカに追従し、中国共産党に追従し、さらには小国の韓国や北朝鮮にさえものを言えない国になりさがってしまっている。なぜアメリカの要求する構造改革を呑まねばならないのか、なぜ中国共産党に多額の経済援助を与え、韓国に必要のない賠償をし、必要のない謝罪までもせねばならないのか、なぜ南京大虐殺や慰安婦強制連行などの捏造歴史によって名誉を傷つけられねばならないのか、なぜ日本領土たる竹島を占拠され、尖閣諸島を脅かされねばならないのか、なぜ拉致されている日本人を取り返せないのか。疑問は枚挙に暇がない。その原因を一言で片付けてしまうなら、日本が甚だしい事大主義国家だからである。

なぜこうなってしまったのか。日本の事大主義は、敗戦と占領期の洗脳によってもたらされたものであるに違いない。事大主義はかつては朝鮮人のものだったが、もはやわれわれ日本人のものとなっている。この苦々しい現実を厳格に確認せねばなるまい。そして、事大主義の原因たる占領期の洗脳をみずから解剖せねばなるまい。自分で自分の大脳を解剖するような自己解剖の作業をやり遂げぬかぎり日本は戻ってこない。