突然ですが。


これ、何に見えますか?


ん?
ただの池にしか見えませんけど、これが何か?ですよね。笑


それでは、別の角度からも。

ただの池にしては、石垣らしきものに囲まれてて、ちょっと時代劇っぽい設えのようにも見えますが。


池の周囲には、なかなか太い幹の木も・・。

石垣の上には植栽もなされてて、やっぱりただの池って感じではなさそうですが、でもここまで見る限りにおいては、これが何なのかはさっぱりわかりませんよねぇ~。


はい、貴重なお時間の中、もったいつけて失礼いたしました。


ヒントはこれ!
おぉ~、萩往還!

石碑の隣には説明看板も。

それにしても、こんな池のそばに、なぜ萩往還の説明看板が?


はい、実はこの池周辺は・・。
三田尻御舟倉跡!

ここは、萩藩の御舟倉があった場所なんですね。


これまでも萩往還については拙ブログで何度かご紹介させて頂き、明木、佐々並、瑠璃光寺近辺に復元された石畳の道を少し歩いてみたりもしました。

本当に少~しでしたが(笑)、それでもかなり険しい道であったことを実感💦


毛利のお殿様は、萩の唐樋から出発し、あのとんでもない高低差の山道を一直線に駆け抜けて、ようやくここにたどり着き、ここから更に海路江戸へと・・。

つまり、この御舟倉がある場所こそが、全長約53キロ萩往還のゴールということになる訳です。


御舟倉についても、これも以前拙ブログで、萩市浜崎地区に現存する御舟倉を紹介させて頂きました。




浜崎だけでなく、防府三田尻地区にもあった御舟倉。

寧ろ、規模や実質的運用という点においては、こちら三田尻御舟倉の方がより重要視されてたようです。


今では住宅地となってる池の周辺は、かつては瀬戸内の港であり、お殿様が乗船なさる御舟を初め、多くの船が行き交ってたんですね。

でもその遺構は、近代に入って開発や埋め立てが繰り返されたことから、残念ながらこの石垣に囲まれた池周辺を除いては、ほぼ原型を留めてないように見られます。

池の隣は児童公園になっており、周囲もすっかり住宅地と化してて、先程紹介した説明看板がなければ、ここに歴史的遺構があったとはとても思えません。

ちょっと寂しいものがありますが、これも時代の流れというもので、仕方ないことなのでしょうね。



この御舟倉跡から数キロも行かないところには道の駅があって、そこからはこんな景色が望めます。




今回この御舟倉跡を見つけたのは、本当に偶然でした。


先日国分寺の百日紅を見ての帰り、普段は海沿いの道を通って帰るんですが、ふと、ナビを使ってみようかなと。

すると、走ってる途中、左手にこんな建物が見えてきて。
え?この建物は一体何?
と、急遽Uターン!笑
かなり広い敷地のようで、周囲はものものしく白塀で囲まれてて、ますます興味津々。笑

あ、説明看板も出てる!

三田尻御茶屋?!
御茶屋って、あの、お殿様の休憩所のこと?

これは是非とも入ってみなくては、と駐車場方向に回ってみると、入り口手前の道路沿いにこんな標識がひっそりと。
え?!御舟倉?!

あ、そうかぁ~!

ここ三田尻にも確か御舟倉があったはず!・・と。


で、取り敢えず駐車して、そこから歩いて探してみることに・・。

矢印が差す方向に向かって足を進めると、こんな標識もようやく見えてきて。
先程の池に辿り着いたという訳です。


でも、裏話をすると、炎天下の中結構迷ってしまって、もう汗だく💦

距離としてはそれほどでもないんですが、さっきの緑色の立て看板がわかりにくいところにあって、どうやら気づかないままやり過ごしてたらしく💧

おまけに道を尋ねようにも、暑い日中とあって歩いてる人もさすがにいなくて、よっぽど引き返そうかと思ったくらいで。笑

でも、やっぱり頑張って行ってよかったぁ~!笑


そうそう、その途中見かけたお寺に。
真っ赤な百日紅が咲いてました。


これまでこの時期に、防府山口間の国道2号を通ることはあまりなかったんですが、今回走ってみると、道路沿い両脇に様々な色の百日紅が植栽されてて、ちょうど見事な満開でびっくりしました。

また、国分寺だけでなく、街中の家々にも本当にたくさんの百日紅が咲いてて、これも新しい発見でした。



御舟倉があった三田尻は、防府市の中でも歴史の古い地区で、かつては随分と栄えたメインストリートだったようですが、今はひっそりとした住宅街になっています。


そんな中で、ちょっと気になった建物があったので、許可を頂いて撮ってみました。

残念ながら、私の写真ではその感じが今一つ出てませんが、このおうち、築120年以上とのこと。

お醤油等の製造販売をしておられて、かつては大阪辺りにも品を運んだりと、手広く商いをしておられたとのことです。


木造ながらモダンな印象を受けるこの建物からも、三田尻地区の往時の賑わいが伺えたような気がしました。



ところで、あの御茶屋は別名「英雲荘」と言うんですが、これについてはまた次回ご紹介させて頂きますね。