アメリカに銀行ができたのは1863年、日本はその10年後の1873年だそうです。ご存じと思いますが、渋沢栄一が欧米からそのシステムを持ってきて、日本に投入しました。ある意味、日本最初のグローバリスト金融家?なんか竹中平蔵の凄い版みたいな人?

 

日銀ができたのは1882年で、当時の大蔵大臣、松方正義の命でだそうです。渋沢も設立委員として松方を支え、実務面で大きな貢献したとの事です。この金融システムに組み込まれたから、今の搾取構造から抜けられない私達の暮らしになった訳ですよね。この構造が壊れる以外に、国際金融家達支配の搾取構造から出られる方法はないのかもしれません。世界の中央銀行は民間所有機関で(日本は半分政府)、その民間の限られた人達が通貨発行権を持つからです。彼らも今のシステムでの搾取はし尽くしてもう限界だから、既存のシステム壊して自分達以外の銀行を潰し、デジタル化で世界統一政府作ろうとしてるけど、それはもっと嫌だしね。

 

では、銀行ができる前の頃の暮らしはどんなだったんでしょう?AIに聞いてみました。が回答でが私の質問。全文は長いのでまとめてます。

 

銀行ができる前までどんな暮らしだったの?

 

お米がお金の代わりで、藩の財政もお米の収穫量(石高)で表され、大きなお金が必要な時は、貯蔵しているお米を売って現金に変えていました。

 

今の銀行に近い役割を担っていたのが「両替商(りょうがえしょう)」です。当時は金貨(江戸中心)・銀貨(上方中心)・銭(全国)の3種類が混在しており、これらを交換するのが主な仕事でした。大手の両替商(三井や住友など)は、商人や大名にお金を貸し出したり、預金を受け入れたりもしていました。

 

庶民には今の「普通預金」のような仕組みは一般的ではありませんでした。お金は、家の床下に埋めたり、頑丈な「銭箱」に入れて保管したりするのが一般的でした。庶民同士で助け合う「無尽・頼母子講」という仕組みがありました。仲間内で少しずつお金を出し合い、まとまった額を順番に受け取るコミュニティ型の金融です。意外なところでは、お寺が資金を貸し付けることもありました。

 

人々は家など大きな買い物はどうしてたの?

 

銀行が普及する前、現代のような「35年住宅ローン」は存在しませんでした。そのため、人々は今とは全く異なる方法で住まいを確保したり、大きな買い物をしたりしていました。

 

江戸時代の都市部に住む庶民(町人)の約7割〜8割は借家住まいだったと言われています。

 

田舎(農村)では、家を建てるのは「個人の買い物」というより、

「村全体の共同作業」という側面が非常に強かったのが特徴です。都会の長屋のような賃貸ではなく持ち家が基本でしたが、その維持や建築には「結(ゆい)」と呼ばれる強力な相互扶助の仕組みが使われていました。
 
村の住民全員が協力して作業にあたります。この際、手伝いに来た村人への報酬は現金ではなく、お互い様の「労働の貸し借り」で成立していました。屋根に使う茅(かや)や、柱にする木材などは、村が共同で管理する「入会地(いりあいち)」や里山から調達することが一般的でした。施主(家を建てる人)は、手伝いに来てくれた人々に食事や酒を振る舞うことが主な役割でした。家が老朽化しても一度に全員が建て替えることはできません。そのため、村の中で計画的に進める仕組みもありました。
 
どうしても家が必要だったり、お金が必要な場合は、家を担保に「家質」という仕組みが住宅ローンの原型として存在しました。
 
とのこと。これが参考になるとは思いませんが、なるほど〜でした。ほとんどが農民で自給自足で、人口も少なかったから可能だった部分もあるでしょう。それにみんな今みたいに長生きしてなかったし、人口ピラミッドが違っていたでしょう。でも、戦争で男性の労働者を多く亡くした戦後でも立ち直ってきたので、それはなんとかなる気がします。
 
人口が減少はそれに合った社会になる途中は痛手でも、現象自体は悪くはないと思います。常にその時に見合った社会を上手に作っていけばいい。人って生きてる限り何とかするもんだと思います。北欧なんて人口少ないけど、上手くやってましたよね。今は移民で以前とは違うようですが。。一旦経済崩壊して貰っていいから、食料自給率を高めつつ1から何かいい社会が建て直せればいいなと思います。
 
上記のことは、以下のアメリカの銀行ができる前のビデオがあってふと思ったことでした。