忙しすぎてニュース見る暇もないので、書き溜めてる記事より![]()
福岡のあらゆる歴史を紹介されてるチャンネルさん。楽しい話が多いので見るのですが、福岡空港にまつわる話は、それほど昔ではないのに酷すぎる歴史を感じました。一部抜粋させていただきますが、分かりやすく話されてていい感じのビデオなので、見ていただいた方が楽しいかと思います。
日本が負け確実な終戦前の1944年2月に、現在空港がある場所に住んでた住民は軍の偉い人に呼び出され、強制退去を命じられます。
10日以内に家を壊して出て行けと。もちろん金銭も保証もゼロ。逆らうものは非国民で国賊として罰せられる。皆、ただ涙して土地と家を明け渡す判を押したそうです。この時、国の一大事だから差し出せと強要されたけど、一応、その一大事が終わったら返すとは言われたそうです。もちろん返す訳ないですよね。戦後、返してくれと裁判はしたそうですが、戦争中に言われたことは無効とされたそうです![]()
主に農家さんで、家も田畑も丸ごと取られ、自費で家を解体。この後、そこに仮設のバラック小屋を建てさせ住まわせ、空港建設の強制労働![]()
そして農地を接収された農民、戦争から帰還した老人、捕虜や小学5年生以上の少年達、朝鮮半島からの労働者も募集し、手作業での滑走路建設をさせたそうです。
日本人と捕虜は強制労働だけど、半島から募集してきた人達にはお金払ってたみたい。この頃の土木工事は日本全国そうだったと思います。父も鹿児島で中学生の時、強制労働させられ、隣で朝鮮からの労働者も働いてたけど、自分たちよりいいもの食べて暮らしていたと言ってました。牛のBBQなど恵んで貰ってたそうです。一番悲惨なのは、家も農地も強制没収された後、強制労働させられた農民ですね。![]()
捕虜のふんどし1つで働かされてる姿も凄い。食べ物もろくに与えられなかったのか、近く池で魚を取って食べたり、近隣住民に食べ物を恵んで貰ってたそうです。
朝鮮半島から募集した人達は家族で来て、近くの川沿いにこのような家を建てて住んだそうです。川沿いにまだ家は残って一部住んでる人がまだ居られます。合法なのかと疑問に思ってたんですが、そう言う経緯があったとは。。
終戦の直前の1945年に完成したけど、出来は悪くて、雨が降れば滑走路は水没する部分もあるとか、酷いもんだったようです。ムシロダに建ったのでムシロダ飛行場と言う名前だったそうですが、間も無く終戦だったので米軍に取られイタズケ・エアベースとなったそうです。アメリカ人がムシロダとか言いにくいと言って、イタズケに変えたそうです。イタズケと名付けたのはアメリカ人だったとは
ムシロダもイタズケも同じくらい言いにくいのではないかと思うけどな。
アメリカが本土からブルドーザーなど重機を色々持ってきて、その後まともな滑走路に作り変えて空港も使えるようになったようです。今まで見たことないようなそれら重機を見た日本人達は圧倒的な差に「なんでこんな国相手に戦ったのか?」となったそうです。
イラストはこちら様より
確か当時の経済力の差は、アメリカが日本の50倍でしたもんね。石油と鉄を止められてたし。上層部でも反対した人はいっぱい居たんですよ。ごく僅かな一部のトップらの爆走で、日本人全員酷い目に遭ったのが第二次世界大戦ってとこですかね。
イタズケが米軍基地だったのは、福岡市民もみんな知ってる事で、私たちも福岡空港ではなく、イタズケと呼んで
育ちました。でも、米軍から日本に空港が返還されたのは昭和47年だそうです。私が子供時代で、そんなに前の話じゃない事にびっくり。でも、普通に民間利用はされてましたよ。4〜5歳頃、叔母の結婚式に飛行機で京都に行ったし。。
しかし、親が育ってきた頃の日本って本当に酷い時代ですね。戦争と言う国難を言い訳にやりたい放題。家は奪うわ、強制労働当たり前。戦後は預金封鎖で国民の全財産が紙切れに。。お金持ちの人がただの紙切れになった紙幣と株券を庭で焼いたと言う話を聞いた事があります。やはり改憲で「緊急事態条項」盛り込むと、お国の為と言う理由でやりたい放題が合法になるのでヤバいですね。戒厳令でまず選挙もなくなる。歴史から学びたいものです。





