昨日のブログは
書いたあと


うーん。。と
アメブロ限定に変えました。




うーん。。というのは、

どうしても、わたしのブログだと
わたしの目に映ったもの
わたしの心が感じたもの
わたしの耳で受け取ったもの
わたしの肌が感じたこと



わたしサイドのものになります。





前にも何度か書いたけれど


わたしの中で、

パートナーシップは
どちらかだけが悪いということは無いと思っています。






感情の琴線に触れるポイントというのは、
パートナーといえど
夫婦といえど

同じとは限りません。




大切したい優先順位もそう。

家族といえど
その優先順位はそれぞれ。




だから、距離が近いゆえに
夫婦であろうが
親子であろうが

摩擦が起きるのだと思います。







母は、
女は、
本能的に
“命を守り繋ぐ選択”をしているように思います。


日々のご飯を食べさせることもそう
何となくでも、これは危険かも。と感じること
我が子の心身が健やかであれと願うこと







そして、
男の人は
生き残ることを
本能的に選択しているように思います。



旦那さんの息子に厳しくする姿もそう。




お互いに、
今と先を見ての選択でも

態度に出すもの
言葉の仕方

まるで違ったりする。









最近、
長らく自分でも自分に隠していた

これをまだ持っていると自分に気づかれたくなかったんだな。ということが
ポコポコポコポコ出て来て



何で本能的に隠すのか。

それもきっと守るためなんだよね。
自分を
子どもを
心を
命を






あとは、
気づいてしまったなら、何とかしなきゃ!と
そう発動してしまうからなんだよね。





でも、

気づいたら
まず気づくということが大きい。と


久しぶりに体感で感じてます。





守ってくれてありがとう。

そして、焦らなくて大丈夫。




自然とそんな声が
わたしの中でわたしに響いた。





大丈夫

堂々と、自分らしくあればいい


そんな声が響いた。







わたしがわたしの中での澱みも隠したいことも見れたとき
気づけたとき


エネルギーの詰まりが抜けるように
エネルギーが体を巡るのだと体感する朝。