子ども達の夏休みに入り

朝からお弁当を作る中、
気がつけば蝉の声




あれ、 こんなものだったかな?


と思うほどに、
全体の鳴き声を小さく感じた。



何だか、蝉の数も全体的に減っているのか
それとも、まだまだこれからなのか




暑さは、増すばかりで
汗も増すばかりで

今年の夏が暑いのか
それとも、汗っかきのわたしが歳を重ねたことでより汗っかきになったのか


とにかく、毎日、汗の量がすごい。








前回のブログの謝罪

夕方にお店を出られるように仕事を進めていたけれど、
旦那さんから

謝罪は無くなったから

とラインが入っていた。





電話をかけると


「(警察に届けを出した人の)お父さんから電話が来て、
来なくていいよ。って
会いたく無いって」


「そうなんだ。。」


「たぶん、マイナスな意味では無く」


「そうなんだ。
修理するお金のことは、、?」



「修理にかかったお金を
後で、相手に払うってことだと思う」




謝りたかった気持ちと
どう謝ったらいいのかをずっと考えてた気持ちと

どこか、ほっとした気持ちもあった




“マイナスな意味ではない”

ご本人に直接聞けてはいないけれど、


ご本人の顔もまだ知らないけれど、



住んでいるのは、
ご近所だから


お互いに、
ここで住みやすいよう
暮らしやすいよう
顔を合わせない選択をして下さったのかな



そんなことを感じた。








謝罪にいくはずだったその日の朝、

仕事に行く前に
息子に声をかけると


彼の顔は真っ青というか
血の気が無くて


ドキドキしているのが、
伝わってきた。






物を傷つけてしまった彼自身も
いろんなことを感じていたと思うし



警察に届けた方も
状況を見て
怒りや悲しみとか
色んな感情が湧いたと思う。




直接お会い出来ないから、
その方には修理代をお支払いすることしか出来ないけれど



その方の日々も幸せなものであるように、と



今回起きたことは
息子やわたしの糧にして二度と同じことはしません。と
心の中で思う。











警察から電話が来る前に


このブログに書いていた
作家の千早茜さん



千早茜さんの
グリフィスの傷という本のインタビューで
印象に残った言葉があった。



私は傷が好きだけど、一般的にはネガティブなイメージがあるものです。でも、そうは描きたくなかった。そもそも傷痕は死体にはできません。からだが傷を治そうとがんばった証だし、生きた証でもある。傷を受け入れて生きていけたらいいなという、希望を持って書きましたね。








心の傷。というものは

目には見えない




起きた出来事も

経験も

過ぎてしまえば

目には見えないものも多い







だけど、

そのどれもが生きた証






痛みを感じるのもまた

今、生きている証













今回の息子のブログ関連で

たくさんの方にお読みいただき


ちょうど、

こちらの記事にもアクセスがあり



わたしも自分で読み返していた








傷があるから生まれる虹もある







人の心から生まれる優しさも
そうなのかもしれない




痛みを知る
ぬくもりが



傷みを経験したことがあるからこその
優しい温度が





磨かれゆくものが








夏休みも
仕事はあるけれど


わたしの休みの日は、
子ども達も児童クラブを休ませることとにして




何より、
今回のことで
色々と考え
立ち止まり
わたし自身もどうしたいかを感じ
周りに気持ちを伝えるきっかけをもらい




いつもより、
ほんのわずか

ほんのわずかだけど
息子との時間が増えたことで




目に見えるほどに
息子の心は落ち着き
嬉しそうで
幸せそう






男の子だしね、
なおさら、
こんな風に過ごせたり
一緒にお風呂入ったり
抱きしめたりするのは
今だけの時間かな、と
そう思う





今日は、5日ぶりの休みで

蝉の声を聞きながら
クーラーのついた部屋で

娘を吹奏楽部の練習に送り出したあと


夏休みで起こさなくていい息子の横でブログを書けるという幸せ。






起きたことは
起きたこと



傷や痛みは、生きた証。


そこからどう生きるかは、
選んで行ける。