旦那さんとわたしの
太陽星座のホロスコープ的にも

わたしが山羊座で
旦那さんが乙女座なんだけど

主従関係でいうと

わたしの方が決断力があって
わたしが決める感じで


旦那さんの方が
従いたい。
主人が喜んでるのが好き。
捧げてる人が喜んでるのがご褒美。



が現れていると。







それこそ、
去年、いろいろ話し合い?になったときに
旦那さんが

「由香が言ったことなら何でもするよ。

由香が、北海道にチーズを買って来てって言ったら、北海道に買いに行く。

それぐらい、俺の方が、他の誰よりも由香を好き」

みたいに言ってたエピソードを思い出して話してて




「めちゃめちゃわかりやすく、まさにですよね。
北海道にチーズを買いに行くその例えが出てくるのとか」


とこぴさんが言った。








わたし、
ブログにも何度か書いてきたと思うんだけど、

旦那さんが放つ音や声
子ども達を怒る姿

そこで特に一緒に暮らせないなみたいな気持ちになってたから





それ以上、刺激したくなかったから
どんどん、
自分が感じたことは
旦那さんの前では潜めさせて行ってたと思う。







で、
いつまでも潜めるわけにもいかず、

たまにドカーン!と話し合い?になって
長く尾を引くくらいに疲れてしまうパターンというか。






春奈ちゃんに

「旦那さんとよく話し合いをするんですか?」


と聞かれて。







いや、、
毎回、すごいエネルギー使って
疲れがなかなか癒えないから
すごく間を空けるかも。



みたいな話から




怒りを出す体力が疲れる。って
疲れるから間を空けるって
何から守ってるんだろう?
何を温存してるんだろう?



みたいな話しになって







そうなったときの(話し合いで疲れて消耗したときの)自分の状態とかも話したりして







今、これを書きながら、
日々の中で
溜めて溜めて行って

溜めたのを出すから

隠してきたエネルギーも
それを出すエネルギーも


ものすごく使ったんだろうな、と思った。





で、
そこから、

お仕事だったり
大切な人に対して

元気が無くなったり

思いやりや
言葉を届けるエネルギーが無くなるのが
そんな自分の状態が嫌だった。









こぴさんが

「男の人って、強い女の人が好きなんですよ」


って言ってたけど






わたしはこれまで

男の人に強く出ることを
避けて生きてきてたようにも思う。







昔好きだった人の2番目の女ポジションだったときも、
その人の彼女がいろいろ言う人だったから
なおさら

わたしはそんなこと言ったりしない
いろいろ言う面倒臭い女になったりしない
癒しに徹しよう


みたいに思ってたし






そもそも、
わたしにとって“強さ”も曖昧だったように思う。







振り返ると、
そういう
感情を出すという経験をさせてくれた人が
唯一、一人いた。

めちゃめちゃいろいろ言ったのも
怒りをたくさん引き出されて
怒りをたくさんぶつけたのも

その人が初めてだった。



毎回、ここまで言って大丈夫だっただろうか驚きと思ったけれど、
「そうやって感情を出すところが可愛い」と
よく言ってくれていた。





わたしの中で、
その経験の繰り返しは、驚きと共に、
今となってみたら


本当に
わたしの怒りを引き出すことをしてくれた人だったし、
そこを引き出して
出させるという経験をさせてくれた人だった


そして、「出しても大丈夫なんだよ」ということ
経験する体感を通して
学ばせてくれた人だったと思う。






僕で練習してみて、
旦那さんにもそれやっていいんだよ。って
そんな人でもあったと思う。








抑えることを覚えて行ったわたしにとって、


起きる出来事の大小とかではなく、
物事の良い悪いではなく、



自分の中にあるものを引き出すために
自分の中にあるものを感じるために

必要な出会いや縁があったように思う。










で、
わたしの感情を揺さぶり引き出してくれるのもまた

家族という縁を持った

旦那さんや子ども達なんだよね。









旦那さんが
わたしが怒らない代わりにってぐらい

よく子ども達のこと
怒ってたりしたけど



それが嫌でもあったけど




何にしても、
子どもと関わってるときとか

宿題一緒にしてるときとか

「ママママ」呼ばれて行ったときとか

楽しい時だけじゃなくって
怒りが湧いてくるときもあって




この1ヶ月は、
湧いたら出す
湧いたら出す

をやってみた。




子ども達ですら
子ども自身のいろんな感情や
怒りを出したりするのに



湧かないならまだしも
わたしにも湧く怒りがあるのに
それを出さないのはあまりにも不自然で





湧いたら出して
それでまた
子どもともその瞬間は嫌な感じになっても

また一時したら
お互いケラケラ笑ってたりして


溜めずにいた
わたしの中も
とても軽かったし



出しても大丈夫。という経験を
お互いにしている。とも思った。






自分がそうやって
怒りも出すようにしたとき






ふと、あ。ってなった。




わたし、
旦那さんにも
お母さんにも


言われたことで根に持って
残ってるものとかあったけど




嫌な言葉だけじゃない
怒りを向けられただけじゃない

やってくれてたこと、
いっぱいあった


やってもらってきたこと、
いっぱいいっぱいあった



ぶわっっと、
そんな感覚になった。









不思議と

あんなに


旦那さんの怒りをコントロールしたいと思ってたとこが


そうやってでも
子どもを一生懸命
旦那さんなりに真剣にみてくれたこと

それが、感謝にも変わった。










旦那さんの大きな物音や
ため息
怒りのエネルギー



いつもどこかで

わたしに向けられてる。と思ってたし

どこかで「ごめんなさい」と思ってたけど






自分が、
自分の中に湧いたものを出すようになったことで


旦那さんの物音や怒りのエネルギーは、わたしに向けられたものだ。って風に
いつの間にか思わなくなってた





そしたら、
前よりもっと眠れたり





なんというか、
いい意味で夜には疲れて
眠ろうふとん1ふとん3zzzとなったりして






お布団の中で
旦那さんの発する音を気にして体に溜めていく。
ということが、無くなって行った。








そもそも、
旦那さんの大きな物音とかも、ほぼ無くなったのかも。。?
あっても気にしなくなってきた部分もあるだろうし。



代わりに、わたしが怒ってるとそれを見守ってくれてたり
子ども達と楽しく過ごしてたり

無邪気な旦那さんもたくさん見れた最近だった。










うまく言葉にまとまり切らないのだけれど😂
まだまだ体感中で、
言葉になりきらない部分もあるんだけれど



“溜めない”ことが目的でもなく
出したと思っても、溜まるときは溜まるのだろうしね




だけど、
どこまで行っても
自分の中をキャッチして自分を出せるのは
自分自身しかいないのだということ



その中で、
それを自分だけで頑張ろうとせずに
誰かや何かに頼ったりすること





コンサルを通してもだけど
わたしの中で
「安心して出せる場からでも出す」という経験





この「出す」
「出せた」っていう経験が
ささやかなとこからでも
何よりもわたしには、大きなチャレンジでもあったんだと思う。







(まだ続くと思うけど、
まとまってないけど、
今書けるものをここに書いておきます♡)