zoomでのコンサルの前、

時間になって繋がるのを
スマホの画面を見ながら待ってる時。





こんなタイミングで、
わたしはふっと言葉が降りてきたり
感覚と繋がったりして





その時に




「与えすぎて、疲れた」



そんな言葉が響いた。



まずは、仕事に関すること。








わぁぁ、これ、
きっと今から言うのか。





これ、どこかで思っちゃいけないと思い、
思うことも
人に言うことも

めちゃめちゃ怖いやつ驚き驚き絶望と思った。








だって、
文字だけでは言葉に仕切らないけれど、、、


やっても終わりが無く
無料のサービスもたくさんあり


それでも、
それでも、
結局は、わたしがしてきた事だもの。








そう思ったけど、




コンサルが始まって直ぐに、
言ったと思う。






始まるのを待ってるときに

「与え過ぎて疲れたって、出てきた。」

と。









それが、その日
わたしを出す始まりの言葉だった。









話す中で、
春奈ちゃんが



「由香さんは、
もともと
感謝とか
ありたがたさとかを感じられる人だと思うから

そういった

理不尽さに怒れる怒りみたいなのが出てきたって、
すごくいいことだと思う」




みたいなニュアンスのことを言ってくれた。







これを書きながらも、
思うけど





わたしは、普段の仕事に限らず
何に対しても



わたしが与えるのは、


これだけじゃ“足りないんじゃないか”って

“満足してもらえないんじゃないか”って


わたし、もっと出せるんじゃないかって



あちこちに、
はびこってるな。と
思ったの





なんでも。
なんでもよ。





些細なことから、なんでも。






子どもがお腹空いたら、
お菓子、これだけじゃ足りないんじゃないか。とか





前回、ここまでお客様にしたから、
これよりもしなかったら
手抜きみたいに物足りなく感じるんじゃないか?とか




前は、旦那さんに
このくらいではスキンシップとってたのに、
ここでもスンとした態度なら、
相手の機嫌を損ねるんじゃないか?とか






何かでも書いたけど、
“前のわたし”が基準になって
(わたしの中で勝手に)

それを下回ったら、
与えてないことになるんじゃないか。って思いや





そもそも、
わたしが出すもの
足りないんじゃないか、とか

もっと出さなきゃ
喜んでもらえなかったり
満足してもらえないんじゃないか、とか




そんなものも、
わたしの中に、ある。って
気がついた。







始めや、
始まりが「やりたい」と思ったことも
そうなりがちなのかも。と





仕事に関しても
家のことも


どこか、
関わるなら、
ちゃんとしないと。と思っているわたしがいて




で、
ちゃんとし続けるの、しんどい。って  
そう思っている自分もいて





毎月、
借金返さなきゃだから、止まれない。って
思ってる自分もいて









だけど、だけど、

こんなんじゃ満足してもらえないんじゃ?とか

お金に見合わないんじゃ?とか


もっともっと
出さないととか


そうじゃなくても


ちゃんと出来なくても



人の役に立てなかったとしても




何も無くても
何も与えられない時があっても






わたしだって、満たされたいんだって
思う時があっても





それでも、
そんなわたしも居るんだ。って






そんなわたしも
存在したいんだって




ここに居るんだ。って






わたしに見て欲しいんだ。って







何の役に立たなかったとしても


誰にも何にも、与えられなかったとしても











今、これを書きながらも、


そんなわたしもわたしの中に居るんだって


存在が溢れるように







どの状態のわたしだって、
わたしなのだと



中にあるものが
掻き消すことが出来ないものが
炙り出され始めた