昨日、ふと


今のいろんな場面での
わたしに



あれ?凝視

と思った。







目の前のことに
精一杯やってきたり
一生懸命やってきたわたしを
自分が知っているだけに
経験しただけに





また、同じような場面が巡ってきたとき





あのとき、わたし
こうしたよな。
とか



ああしたよな、とか




昔のわたしを模範にして
それをなぞろうとするわたしに
気がついた。









いやいやいやいや。


いや、待って。




それって、
違和感。





あのときはあのときで精一杯やった。





だけど、
今、湧くものがある。
今、湧かないものがある。





そんな今があるのなら、




かつての自分の型を
なぞることはないんだ。






どんなに、
きらめき
まぶしく感じても






わたしは、いつも
過去の自分を振り返ったとき
懸命に生きてきた跡に
羨ましさを覚える








だけど、
いつも、
今にしか、生きることが出来ない。










だからさ、



そのときのご縁


今だからの表現



今だから
生まれるもの





どれもが、

かけがえのない



奇跡のようだ







静かに

静かに


微かに




わたしの中の
変容、というか

わたしの中の動きを感じている








なぞれる輪郭は、

もう今は違うカタチ








それを破る
というより




型を壊す
というより






懸命に
いつの時の今も
やってきたことが



溶ける




わたしになる

そんな感覚なのかも







そんなことを感じながら







今朝、
ようやく、
香りをつくった。























あぁぁ、今日も水鏡のおかわりが止まりませぬよだれ飛び出すハート飛び出すハート