ちょうど、去年


この曲、響を聴いていたタイミングが





 



家の中で
いろいろあったタイミングも重なり










いつも、

響の曲の中の




洗っても取れない現実



というフレーズが、
わたしの中で反応した。







自分で見れなかった部分

誤魔化してきたこと

隠してきたこと




生きていく中で
自分がそれを選んできたこと





それらのものがある中で




「現実」は洗っても取れない

したことそのものは
消えて無くなるわけではない





それを受け止めながら







響の中の、

洗っても取れない現実


のそのあとの歌詞が、


わたしはわたし自身の中で
わたし自身に対して
どこか、そう思えない気持ちがあったんだけど



どこか、そのあとの歌詞は自分にはスルーしてたんだけど








月日が経ち

日々を過ごし

今を感じ

目の前に向き合い

立ち止まり

進み



自分だけでは無い
人の話を聞く機会ももらう中で





だんだん



だんだんと




わたしの中に入ってきたのを感じる








そして、
こんな短いフレーズで
こんなにも表現できる
京さん
すげーな、、、
とも、改めて、改めて、感じる







洗っても取れない現実はきっと

過去を許してくれるから







自分がしたことの

現実に起きたことの


許すとはなんだろう


許されるとはなんだろう






自分がいて
相手がいてのことだと


すぐにスッキリとなるわけではないけれど









自分が選んで来たことに
悔いは無く





いや、「悔いは無く」よりも
悔いはしない。と自分に決めてきた、が近い感覚かもしれない







この体で
この心で

そのときそのとき
たくさん感じてきて





今は

「洗っても取れない現実」だけじゃなくて





洗っても取れない現実はきっと

過去を許してくれるから




このフレーズが
全部響く



自分の中で“過去”になってきたものもあるのか




その響きが
わたしには深くて






言葉になるもの
言葉になりきらないもの


全部含めて





わたしの中で響く