わたしの中にあるものを出さなければ、
意味が無いのだ。
「意味が無い」も伝わるニュアンスに語弊があるかもだけど。
一緒にいて、
10年。
いったい、それがどれぐらい出来てるだろうか?
そう思う。
ここ数年、
“体感”を感じてきて、
体感を感じていたと思っていて
だけど、
自分の不快と思うもの。
自分が怖いと感じるものは
たくさん蓋をしてきた自分がいたんじゃないかな、とも思う。
セックスのことを話し合えるというのは、
必ずしも
セックスをする、ということではないんだと思う
したくなかったら、それを相手に伝える勇気
あとは、自分で自分のことを分かってるのが大切だと思う。
快よりも不快なこと。
好きよりも嫌いなこと。
だってさ、
不快や嫌いを無視して見逃したら不感症になる。
これも、
きっと、
頭でたくさん、そう思ってきた部分も、
あるかもしれないなぁ。って
なんだかそう思うんだ。
今、感じるのは
好きや嫌いや
快や不快
どれも
固定化されるものではなくって
もっと
柔軟で
そのときそのとき
変動するもの。
いつしか、
自分の中で、
固めすぎてしまった気がするんだよ。
決めつけすぎてしまった気もするんだよ。
わたしにとって、
旦那さんは、嫌いな人。
わたしにとって、
旦那さんは、不快な人。
と。
わたしが、心をさらす相手では無い人。
と。
だけど、
だから、
その固定概念じゃなくって
決めつけじゃなくって
旦那さんと
表面的な会話じゃなくって
もっと
深い部分を感じたとき
じわじわと振動するものがある。
わたしは、
自分のそれを知りたくて、
一緒にいるんじゃないかな、って
思うんだ。
10年の間
途中何度も、
「なんで、わたしは離婚しないんだろう?」
「なんで、こんな状態になっても
離婚という選択をしないんだろう?」
それこそ、
自分を責めるような気持ちで、
そう思うことも
何度もあったけれど
旦那さんに関しては、
逃げるも
避けるも
向き合いたくないも
そんな自分自身を自分が見たくないから、離れたい
も
思ったりしたけれど
それはそれでありながら、
わたしが知りたいのは、
その奥にあるものなんだ。
その奥に、振動するものなんだ。
それをキャッチすることで感じる
体の感覚
それをキャッチすることで
わたしの真ん中に広がるもの
それを知りたいの
旦那さんとのパートナーシップの記事は、
溢れるように書いてる、というよりも
わたしの中にある言葉を
迎えに行くように、書いてるような感覚で
わたしの命を
絞り出すように、書いてる感覚で
体の感覚を
まるで追体験するように、書いてる
って、
この言葉を書いてたら、
涙が出てきた。
だけど、
わたしが書きたいのって、
そういうものだ。
誤魔化して、表現したくないものなんだ。

