ラインでやりとりさせていただいてから、
いざ、ビデオ通話で話すタイミングがやってきたのは、
1ヶ月近く経ってからでした。
わたしが、
ゆいさんと話す中で、
凄いな。と感じるところのひとつに
問えるチカラ
問うチカラ
がある。
自分が悩んでることとか
自分が考えていることとかを問うというより
相手に問う姿勢
というのかな
相手に対して受け入れたい。と
ひらく在り方というか
今回だと、
わたしと一対一なので、
わたし自身に対する問い。というのかな。
会話の端々に
問いの中に
相手を知りたい。
相手を感じたい。
そういうものを
ゆいさんから感じる。
その
出すもの
放つもの
受け取るもの
返すもの
色んなもので
自然と会話が深まっていくというか
ゆいさんは、
そうやって
問いながら
知りながら
感じながら
言葉にし合ったりして
深くで繋がってこられた方なのだと感じるし
そんな繋がり方や
そんな自分自身を自分は知っているからこそ
「疲れている」と感じるときに
そこまで踏み込んだり
入る前に
立ち止まり
考えるのだろうな、と感じた。
たくさん、お話しする中で
退化していくように感じることや
停滞しているように感じるること
そんな話も出たのだけれど、
自分が日々生きる中で、
自分が経験してきたことがあって、
そこからして
退化しているように感じるときや
停滞しているように感じるときって
わたしもあるけれど
経験したこと
自分がしたこと
それは、
その経験は
無くなるわけでも
奪われることもないから
退化なんてしていなくて、
どれも
これも
停滞してるように感じるなってときも
今のこの瞬間も
どれもこれも
そのときそのときの
かけがえのないゆいさんが存在していたのだと思う。
話を進めて行く中で、
過去ばかり見て
生きている気がする
そう言うゆいさんから感じたものは、
後ろ向きに生きているとか
ネガティブだけで生きてますとか
そういう事じゃなくって
いっつも
考えながら
生きているから。
「どうしたら、
もっと良くなるかな」とか
「どうしたら、
もっと相手に伝わるかな」とか
「これを言ったら、
相手はその先どう思うかな?」とか
考えて
考えて
そんな今を積み重ねてきて
それを積み重ねてきた過去だから
過去の出来事も
大切にしてきたものが
たくさんあるから
もっと、
もっと、
出来ることがあったんじゃないか
もっと、
自分にとっても
みんなにとっても
いい方法が
何かあったんじゃないか
大切にしたかったからこその
その気持ちがあるから
その視点があるから
置き去りにしたくなんかないから
捨ててしまいたくなんかないから
だから、
過去ばかりを見ている。というよりも、
「わたし」という立ち位置から
わたし自身へ問いながら
年月をかけて
ゆいさんの
体感に落とし込んで
ゆいさんの一部になっていかせているのだと思った。
それは、
ゆいさんから放たれる
人への深い優しさや
人への考え方に繋がる
今にも
これからにも
繋がっていることだと思った
あのときに話したことを
改めて
全てをここに文章にすることは出来ないのだけれど
言葉を交わす中で
深くにあったものが
響き
溶けだすように
自然とお互いに涙が溢れながら
言葉やエネルギーを
出し合い
交わし合った
だからね、
変わろう変わろう!とか
前向いてこ!とか
そんな言葉よりも
自分が大切にしたいものを
自分が思い出すこと
自分が大切なものを
自分は知ってること
自分が大切なものを
自分が守れるしなやかさ
そんな自分で生きるチカラを添えられるような
わたしで在りたいな。と思う
万人受けしなくても
マイノリティでも
地味でも
ゆっくりでも
時間がかかるように感じても
確かに
確かに
自分で感じて
自分にとって大切なものを大切にしながら
自分の中のリズムと生きる体感は
ほんとうに
ほんとうに
どっしりと
揺るぎない
自分自身のチカラになっていくから
それが、
まず自分自身に響いて
自分にとって大切な周りの人にも
響いていくから