只今、やっている
お喋りをする~響き~というメニューと
言葉のやりとりをする~紡ぎ~というメニュー







わたし、
自分自身が「セッションします」と言葉にするのは
なんだか違和感があって




あえて、その表現をして来なかったのだけれども







香りのやりとりでも





セッション

と出てきたり、





今回やることも

来て下さる方や
キャッチしてくださる方が

「セッション」

と言ってくださる。











せ、せっそん凝視
これは、せっそんになるのか驚き



と、
わたしの中に出る抵抗泣き笑い








全然、
好きに受け取っていただいて
感じる名前のままでいいの。









なんだけれども、
わたしの中で、
セッションする。=講師
みたいな図式があるのだろう





わたしの中で、
自分がそれをするとなると、
なんだか固くなるのだ






だけどさ、
それがね、


音楽のセッションなら
わたしにとって
同じ“セッション”という言葉でも
まるで受け取る響きが違うの






このYouTubeの動画にある2分前後の

YOU ARE THE REASON

という曲。




このツアーバージョンのこの曲
ライブで聴いたとき
めちゃめちゃ感動してね。





ツインボーカルに
ピアノ
様々な弦楽器

それが
各々の場所で独立しながら
個々で放ちながら
バチっとひとつになって
奏で合う







わたしがしたいのは、
それなんだ。






奏でなんだ

奏で合いなんだ。



どちらが上でも下でもなく



何かを教える
何かに導くでもなく



それぞれが
自分の音を
自分の中から出し合い
それが
心地良く響き合う



そんな奏でなんだ。









お互いの
命の輪郭に触れるような

お互いの命の輪郭で奏で合うような





わたしにとって、
~紡ぎ~も~響き~も
これまでの香りのやりとりも
そんな存在なんだ。








それを
それそのものがセッションなのかもしれないし、

人によって
意味合いは違うのかもしれないし、




だけど、
わたしにとってはそうなんだ。









わたしがやりたいのは、
あなたの深くにある
深部

その命の輪郭との


奏で合いなんだ。











その
奏で合いの後も


自分の命の輪郭を大切に


自分の場所で
響かせて生きていけるような


そんな奏で合いをしたいんだ。