このブログのこのテーマに辿り着いたのは、
わたしの中で究極の嫉妬心と独占欲にまみれた経験をしたからだけど





なぜ、
こんなにも嫉妬心が湧いたのだろうか、って





それは、
ブログという存在

ブログからの繋がり

が、ここ数年のわたしにとって
とても大きなものだったからだろう。








その人は、
ほぼほぼ、
毎日ブログを書く人だった。






たくさんの女性と出会いがある人だった。


それは、
ほぼほぼアメブロでの出会いから発展で。





単発的な出会いもあるけれど、






ブログの表現はもちろん、自由。




それでも、
その人の書く対象になる人に
嫉妬した。





というか、
出会った頃は特に
ブログに書く以外の出来事や
女性関係を話してくれたものだから、
いろいろ知りすぎて、
書くなら、全部書けばいいのに。
書くなら、全員書けばいいのに。


そう思った。



それも、もちろん自由なこと。




それでも、
そうジャッジする自分がいた。
ずるい。って思う自分がいた。
その人には、その思いが止まらなかったし、消えなかった。









自分が書かれないと

「わたしは存在してないみたいだ。」

と何度も言った。



わたしにとっての
大切なものを伝えた。







そのたび
何度も

「ブログは仕事のためにやってる」
「フィクションだよ」
「作品だよ」
「書いてることは気にしなくていい」




そう言われる言葉を
信じきることが出来なかった。









わたしにとってのブログの存在と
どうしても重ねてしまった。



頭ではわかっても

切り離せなかった





わたしは、
ブログでの表現を大切にしていたし、
ブログでの表現を愛していた。



実生活より、
その価値を上に置いていたと思う。
その時期がわたしの中でとても長かった。







モヤモヤした気持ちを伝えても


「由香だって、〇〇なくせに」とか
「はいはい、欲張りな由香の駄々っ子でした!この話しおしまい!」


と言われて勝手に会話を終了されることに
わたしはいつも
腹が立った。




そうじゃない。
そうじゃないんだ。

わたしが伝えたいことは、、







そのたびに
気持ちをないがしろにされたみたいで

存在していないみたいだ。

と感じた。





あなたの中で、
わたしは存在していないみたいだ。と









溶けるような甘い言葉を言われても、
拭えない違和感がいつもあった。





好きな気持ちと
憎しみが混在した。








結局、
想いをぶつけたあれこれは、
その人に受け止めてもらうものでは無かった。




それでも、
その人に叶えて欲しい執着が絡みついていた。





どれだけ、
お互いに滑稽でも。






まず、向き合うべきものが他にあっても、
そのときにわたしに必要だった。

わたしの心を大きく占めていた。











「存在していないみたいで、悲しい」




そう感じる想いを

まず自分で受け止める。




存在したい。
存在したかった。
その想いを
自分で受け止める。





それは、もう、
わたしには、
その人から離れることでしか出来ない。と思った


表現を愛するからこそ。

わたしの場所を愛するからこそ。









ここに、居場所がある。


そして、その人だけじゃなく、
いろんな人の存在が、
わたしの心に浮かぶ。


いろんな居場所が、
あったじゃないか。
そう思った。









その人の中で、じゃなくて、
自分で自分を存在させる。






自分を
無かったことにしない。




どれも
感じなかったことにしない。











人にぶつけるものでもなく、
痛いところも
逃げてきたところも
こうやって自分で受け止めていくことでしか
わたしは進めない。




それでも、
大切な人に自分を受け入れられたら、
それも、嬉しい。










ここでも表現するし、
実生活でも、わたしを表現していく。



これからも。





それは、
わたしが生きることでもある。
わたしを生きることでもある。





生そのものである。