わたし、
やたらと「命」「命」と言うけれど、


きっと、
これは、
わたしの生まれたときから
父や母が育ててくれた環境が
命に響かせてくれたものだ、と




離れて暮らすようになってから、
感じるようになった。





そして、
自分の命、というか
自分の境涯がひらくときって



案外、
しんどい。とか 苦しい。ってときに

わたしの命は
底からひらいてきたのだと感じる。




底からひらく
チカラをもらうような、
そんな出逢いがあったと感じる。
このタイミングは、わたしにとってとても大きかったと思う。さらに、わたしの命をひらかせてもらった。






このときから、

母に
「結婚するときにこれだけは」わたしの日常に。と言われた
仏壇と
ずっと我が家がとっていた新聞
子どもの頃は、学校で「新聞もってきてね」の授業のとき、他と違う。って、子ども心ながらに持っていくのめちゃめちゃ恥ずかしかったし、隠したかったなぁ。





そのふたつのうち、
やっと、
その新聞に目を通すようになった。




全部を読むわけでは無かったけれど、


そこにある言葉は、
力強く
わたしの命に響いて響いて

自然と涙が溢れた。





ここ数日も読みながら、

わたしは、
ひとりひとりの
人生の体験談とか、
もうダメだ。ってときに『響いた言葉』とかが、
わたしの体にも
わたしの命にも
響いてきて、
涙が出るんだ。



ここ最近、
響いた言葉。




あぁ、ただね、
抜粋だと、
伝わりずらいのだけど、、、えーん




平和は、どこか遠くにあるのではない。
身近な地域に根差して、
『一人』のひとを大切に励ましていくことから始まる。




君が自分で自分を、だめだと思っても、
わたしはそうは思わない。
あなたが自分で自分を見捨ててしまっても、
わたしは見捨てない。




はかない『相対的幸福』でななく、
自分自身の生命そのものを宮殿に変えるのが
『絶対的幸福』です。
自分が宮殿のように広々した心になり、宮殿のように輝いていけば、
どこにいても、何があっても幸福は揺るがない。





わたしが、
目の前の人に
在りたい姿でもあった。







もうね、
わたしは、
変わる。よりも
この生命を深める。と、
いつしか思ったんだよね。

思い出したんだよね。




目の前のひとりを
励まし抜く人であろう。と



注ぐことを
惜しまず

わたしを注ごうと。




変わる。より

わたしの中にある世界観を極めよう。と



人を
表現を
愛して、愛して、愛し抜こうと。