このブログに、
旦那さんに無邪気なわたしを出してくこと、
みたいなことを書いたんだけど



まぁー、
無邪気さを出すどころか、




またまた
旦那さんの息子への言葉遣いと
怒鳴り声に
喋る気すら起きなくなって



お互い、黙ってるか
ため息が聞こえてくるか
みたいな感じで





ふつふつ
ふつふつと



こんなのわたしじゃない。と
そう思うような自分も
感情も

旦那さんとのパートナーシップだからこそ
引き出されるわたしだったりして







なんかさ、
今。から
未来。を描くとき、

未来というか、
在りたい姿というのかな
いろんなビジョンを描いたりするんだけど。



仲良く過ごすとか
別居とか

いろいろある中のひとつに
「円満離婚」
というものが
わたしの中にある





それって、どんなもの?って
自分でもわかってなかったり
綺麗事すぎるのかなって
思ったりしたんだけど





ふと、
思った




嫌うだけ嫌ったって
憎むだけ憎んだって


それでもいい




そんなこと、
しちゃダメだよってより



わたしには、
嫌ったって
憎んだって
思いっきりやったっていいんだよ、って
それが必要な気がした



認めたくなんかない、感情だけれども







でさ、

でさ、


思ったんだよね




旦那さんにも。



わたしを愛し続けて欲しいとか
「わたしと」とかってより





わたしのことを
思いっきり嫌ってくれてもいい
憎んで憎んで
幸せでいてくれたらいい
笑っていて欲しい
幸せでいて欲しい






それが、
わたしが
やりたいことを選んでいく覚悟みたいなものだと思った





なんだ、
カタチはどうあれ

共に一緒にじゃなくたって


その憎しみの矛先になったっていいと思うのは


その先に
旦那さん自身にでも
また誰かとでも
笑っていて欲しい
幸せでいて欲しい



身勝手だとしても
それは消えないからなんだ





憎んでもいい
憎まれてもいい

そう渦巻く
大きな大きなエネルギーが湧くほどに

幸せを願うからだ
わたしで在りたいと
あなたのままにと
願うからだ



 

やっぱり、このときの想いがずっと響くんだよね。

奥にあるものがね。