長年ご縁をいただいて、
いろんなホロスコープを見ていただいているRyokoさんに、
あ。と閃いてお願いしていたホロスコープが先日届いた星

このリブログさせていただいた時のとはまた別のものを。









わたしは、
わたしの世界に現れた好きな人のことは、
自分を見るように見ちゃう所があるのだと思う。






ぐーっと深く深くに相手に入り込むことも。

離れて全てを包括するように見ることも。

どちらも。







ふと、気づいた。

面白いなぁ。と思うのはさ、



人と人の
星と星が出逢うとき




わたしから見た相手との星と






相手から見たわたしとの星は





変わるのだな。ということ






みんな、母の子宮の中で鼓動が始まり、
この世に生まれたときに

誕生日となり
出生時間となる







自分のホロスコープは、

自分の命を真ん中に
360度に広がる景色






自分だけでも、
いろんな側面を持っていて




天体そのものだって、
二度と同じ配置になることはない



今、この瞬間も





自分にいろんな面があって当たり前だし


相手との関係性だって
いろんな表情が出るのは
自然なこと







天体も変わる



いろんなことは変わることが、自然な営み







変わらないことがあるとするのならば、
この肉体に鎮座する魂そのもので、


それは、
変わらない。というより、
人との出逢いや
それにまつわる経験を通して

磨かれ
より本質になっていくのだと思う


表現になっていくのだと思う

表現力になっていくのだと思う







変わる。というのは、
生きている以上、
人とのご縁を通して変化していくことが多いと思う。



それは、
目に見える変化だけでなく、
目に見えない変化も







自分の命を真ん中に
360度に広がる世界の中で







人と人の
人生が
重なり合う瞬間がある。



星の運命(さだめ)で
出会ったとしても
離れたとしても


運ばれた命が
今、生きているからこそ





肉体に魂と本質を宿して
響き合い
磨き合う





それは、
どんな人にとっても、
出逢いも別れも
幸せにしかならない
繁栄しかないのだと思う








もう、ほんとに思うよね。




そこにいてくれるだけでいい


あなたの人生を生きていてくれたらいい





と











そこにいて


自分を生きる


相手をまっすぐに見る

まっすぐに見るというか、
それもさ“わたし”というフィルターを通したまっすぐだから
相手を見ようとする姿勢というか
相手を感じようとする想いそのものというか




それが、愛そのものなのかもしれないな。と
愛情表現そのものなのかもしれないな。と

なんだかそんなことを感じた










星もまた、愛おしいね♡




Ryokoさん、ありがとう♡♡