9月21日、敬老の日。
わたしも旦那さんもお仕事で、
子ども達を母に預けた。
夕方、母から
「子ども達が、蜘蛛がいるって騒がしくて、取ろうとしたら転倒してしまって」
と言われて
結果、
右手首、骨折。だった
「えー
なんかいろいろごめん」ってなって
おととい、母からの電話で、
「骨折した日。
癌がわかった日と同じだった」
と連絡が来た。
もう、9年前だろうか、
たまたま、わたしが仕事が休みで
夕方、母が真っ青な顔で、
しゃがみこんで
休日当番医を調べていた
「どうしたの?」
「血が、
血が、出た。」
どうやら、
血尿が出て、
ものすごく痛いと
父もいたけど、
「ゆか、、、
着いて来て」
母は、心細そうに、
そう言った。
先生は、母に
「尿道に、石が出来てて
それで出血した」と伝えたけれど、
わたしだけ別に呼ばれて、
「レントゲンで腎臓に写ってるもの、
癌の可能性があります。
お母さんを平日にまた専門のところに受診させてください」
と
「わたしが、言うんですか、、、?」
それが、9年前の同じ日だった。
(その後は、ここでは書きませんが、
癌は全摘して、今は元気に暮らしています)
「骨折と癌がわかった日同じだった。
あんた元気でいなさいよ。
女はケガしても忙しいから」
その言葉と、
昨日の記事を書いた
お金に感じること
それが何だか繋がって、
さきこさんのこちらの記事を読み返した
それが、今になって
言葉で理解するより
言葉でわかりきらなかったところが
わたしの中に深くリンクした
表面的な出来事じゃなく、
その感覚が
このときより、
もっと深くに辿り着いた
母にいつも
「ゆかはお金が無いから」
って言われていたことや
他にもいろいろ言われてきた
血に流れる女の設定
おばあちゃんに
「結婚はゆっくりでいい。
苦労するのは女だから。」
って言葉
おじいちゃんは、家にお金を入れず
おばあちゃんは働いて3人の子どもを育て
おじいちゃんはふらりと現れては
スカートを履いていたり、(←母からのこの情報だけだから、おじいちゃんの心情は全く知らないけれど)
すぐに「首を吊って死ぬぞ」と言うのが口癖だったり
わたしが
娘の今の年齢(5、6歳)くらいのとき
最後は本当に
庭で首を吊っておじいちゃんの生を終えた
「ゆかはお金が無いから」
母に
それをもう思われたくなかったし、
足りないとも
使いすぎとも思われたくなかったし、
結婚してからお金のこと
知られたく無かった
好きなことをやってきた支払いもあるけどね、
わたしが
カードローンで借りたもの
おまとめローンしたことや
消費者金融で借りたことは
子ども達の食費や
子ども達と行き来する交通費のためだったから
今日ね、
子ども達の運動会の姿を見ながら
あ、おんなじなんだ
って思った
形は違うように見えても
子ども達にね
お金のことで
我慢させたくなかったの
のびのびさせたかった
わたしの精一杯の愛
おばあちゃん
母
わたし
娘
表面的にしてることは違っても、
その奥の想いは受け継がれているのかもしれない
表の出来事じゃなくて、
その奥の感情の経験
体の中で感じる体感
わたしの精一杯の愛だったように
わたしもまた
母の愛を
おばあちゃんの愛を
受け継いでいるのだと思った
何世代も
何世代も
あぁ、
借りてる借りてないとか
その表に見えることだけじゃないその奥は
愛する子ども達と
大切な人と
心から笑い合っていたい
それだけだった。
いつも
いつもいつも
その願いに辿り着く
いつも
いつもいつも
その願いを思い出す
脈々と受け継ぐ愛と
根っこにある想いに触れたとき
何だか体がふるふるなって
運動会の子ども達を見ながら、涙が出た


