先日、旦那さんが仕事から帰ってきたとき、
何だか見た目がいつもとは違う違和感を感じて、
それを伝えたら、



「わかる?
これ、病気かもしれない」と。






「マジ?そうなんだ!」
そう返したけれど、
わたしの心の中は、とても冷静で。










少し前に、
「仕事、転職しようかなって考えたりする」と言われたときも、
考えるよりも先に
「したいなら、すればいいと思うニコニコ」って答えたときと同じように、



“旦那さんの何かで、旦那さんの条件で、
わたしの幸せが左右されるわけではない”という風に、いつの間にか肚が座っていたんだな、って感じました。




幸せにしてもらおう、じゃなく、
ひとつひとつを自分で選んでいる自覚。








そして、わたしは、
旦那さんのまっすぐなところに惹かれたから、
まっすぐに自分が思うように生きて欲しいって気持ちがあるんだと思う。









旦那さんは、病院に二度行き、
旦那さんのことなので病名は伏せますが、
旦那さんの想像通りの病気だったようで、
今日が二度目の病院で、
今日は先生に言われた言葉にショックを受けてたみたいで。








落ち込みたいなら、落ち込ませておくか、と思って、
話をしながら、

わたしの中から、どっしりと揺るぎなく

大丈夫よ




って言葉が湧いてきて。







これは、慰める意味じゃなく、


どうあっても大丈夫よ


って意味で。










気づけば、旦那さんにも

「(どうあっても)大丈夫だよ」
って言ってて。










いつの間にか旦那さんも、
「治らなかったとしてもこれで死ぬ訳じゃないし、
そのときはこれが俺だ」
って言ってて。












顔を見たら、
どうあっても、旦那さんの瞳はやっぱりまっすぐな瞳で。








何でかわからないけど、
まっすぐな瞳に見つめられると、わたしはいつも涙が出てきそうになるのです。

まっすぐさが伝わってくる感覚というか。











そして、思うようにまっすぐ生きて欲しいと思うと同時に、
わたしは、自分が全てをまっすぐに生きられてるわけではないだろうな、って感じてて。






だからね、
まっすぐ生きて欲しいと同時に、
わたしももっとまっすぐに生きていきたい、そう思うのですラブ



そのときの自分の心にまっすぐに在ること、
表現すること、
それがわたしの感じる心地よさや
幸せのひとつなのですはぁと