4年前の記事
続きを書きます。
光と闇は対である説は、
闇を認めていない人が、
闇を認めるために言っていることが
あるように思います。
(すべてではない)
しかし
闇が悪いモノだとか
闇は嫌なモノだという感覚がなければ
ただ、闇はそこにあるもの。
わざわざ、
誰しも、あるはずだ!
決してなくならない!
対なんだ!
同じ量だけあるものなんだ!
と、
言わなくてもいいよね。
光が強い人は闇も大きい
それほんと???
光を強めないための、脅し?
光が強い人への、やっかみ?
そんな気持ちが、
心の奥底にあるかもしれません。
(ないかもしれません)
言いたくなったときには、
心の奥を見てみると
いいかもしれません。
敵と味方も対?
ホントにそう?
光と闇は対、敵と味方も対
だから、同じ分量あるというのは、
分離の思考。
敵と味方にカテゴライズしない
世界もあります。
分離がダメなことではない。
発達プロセスとして必要。
発達プロセスの分離については、天職部70で
闇があるから光が見えるって
ホント?
暗闇に瞬く星は綺麗ですね。
しかし、日のあるうちにも、
星は見えますよね。
星の光を見るために、
闇夜が必要とはいえません。
フレアやオーブなど
明るい場所で、光を感じる
写真を楽しむ人も増えました。
闇はなくても、光は見える。
そんな人が増えています。
光の中だからこそ
光を楽しめる世界もあることを
わたしたちは、
もう、知っているのです。
対である・同量であると
思うことで、
救われることもあり、
ひとつの段階を抜け出せる
こともあります。
だから、その時の
その人にとっては、
真実ではあります。
しかし、その思考が
そぐわなくなったなら
卒業するといいでしょう。
わたしは、
光のない漆黒の暗闇も好きです。
闇は光のために
あるんじゃない。
闇は闇。
「好き」と「嫌い」が
統合すると、「凪」になります。
暗闇が怖いひとは、
固める反射の統合を。
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