5月7日
久しぶりの、一人居


朝がた
2階の書棚の床で
見つけた雑誌


どこに保管しようかと
迷ったまま

置き忘れた感じ 苦笑


さいきん、そんなことが
よくあります 


何度か、目にしているはずの
その雑誌が


今日は、何だか響いてきて
手に取りました
(たぶん、誰かが購入したもの)


『サンデー毎日』
昭和47(1972)年 5月7日号



ノーベル賞作家
川端康成氏が

72歳で、4月に
みずから命を絶ったことを
受けて


グラビア特集や
特報記事を載せてあります


目次を見ると
時代が反映されていて
懐かしいです



若い方は
目次を見ても

ピンと来ないかも
しれませんね


小田実さんや
ドナルド・キーンさんの名

連合赤軍(あさま山荘事件)

戦後28年ぶりに
グアム島のジャングルなどで
生き延びて帰還した
元陸軍軍人・横井庄一さん


外務省機密漏洩事件の
元外務省事務官だった
蓮見喜久子さんの
名前もみえます

この機密漏洩は、1971年の
沖縄返還協定に絡むもの

関連書籍に
澤地久枝氏『密約』
山崎豊子氏『運命の人』が
あります



グラビアページは...

美術品のコレクションと
ともに

作家・大佛次郎氏と

下の写真は
ノーベル賞授賞式

もう1枚は
京都鷹ケ峯の茶会にて
くつろぐ川端氏
立っている和服の女性は
夫人の秀子さん

(夫人は私と同郷
青森県八戸市のご出身なので
唯一のご縁)

下の写真のうち
右上は、「面会火曜」の看板

川端氏はどんなときでも
来客を拒まず
自分で応対したらしいのです

そのため、ひっきりなしの
来客に
面会日制としたものの

相変わらずの来客だったと
本文記事にありました
(秋岡義之氏・19p)

純日本風の川端邸の様子
右下には、黒猫が
ゆくっています(寛いています)




川端氏については

以前、
ハンセン病回復者の
作家・伊波敏男さんに触れて
少しだけ書きました


あれから
一歩も進んでいませんが


やはり私には
どこか特別の存在かも
しれません


川端氏は亡くなる前まで

冬樹社の『岡本かの子全集』の
推薦文を書き直しておられ


中断して...

「ちょっと散歩に行ってくる」
と言いおき

逗子にある仕事場としていた
マンションの自室で
亡くなりました






自殺の原因?


遺書はなく
永遠に、不明なのだろうと
思います


ぼんやりとしていた死への
思いが

何かに触れて
死へと
駆りたてられたのでしょうか


常々
死については
いろいろと身近な方たちに
語っておられたそうで


それぞれが
思い当たることを
インタビューに答えています


絶筆が
かの子に対する文章だと知り


再読中の
『かの子繚乱』(瀬戸内晴美)へと
つながって

不思議な巡り合わせを
感じます


川端氏は冬樹社の
『岡本かの子全集』の監修者
であり

かの子の文学をその出発から
後押しされています

私の手元にあるのも
冬樹社刊
昭和55(1980)年・第2刷




そのとき
どんな思いが去来していたので
しょうか...


3歳で孤児となり
以後、人からの温情で
生きてきたというふうなことを
語ってもいます
(「文学的自叙伝」など
Wikipedia参照)


頼まれごとや、自身の心を
揺さぶるもの
心洗われる作品などに対して
誠心誠意であったエピソードは
たくさんあり

それでいて

記事(秋岡氏)を読むと


人の、生き死に、には
どこかサラリとして
拘泥せず

身近なるものの死を
たくさん見てきた人の境地の
ようなものを感じます

ネットで
川端氏の一生(概略)を
読みましたが

深くて、多岐にわたり...

下世話なことで言えば


たくさんの方々の
葬儀委員長を務めてこられた
のが印象的でした


特報記事は
川端氏の人柄を偲ばせる内容で
いろいろと思いめぐらせました













皆さま
今日もご訪問ありがとう
ございます

こちらは感染者ゼロの
日が続き
緊張が少しほぐれました


最前線におられる方々が
はやく安める日の
来ることを願っています


本当に困っている方々に
どうか援助が
届きますように...

庭には
テッポウユリも咲きはじめ
ました