この夏

墓参を兼ねて

南洋サイパン、テニアンへ
行く予定でしたが

訳あって、つい先ごろ
キャンセルしました



戦前から
日本人が移り住んだ地域
南洋群島 
(委任統治領)


私の家族にとっても
戦前、戦中と
関わりの深い地域でした



第二次世界大戦における
米軍とのサイパン戦は

1944年
6月15日から7月9日まで


仕事で戦記を読み
また
たくさんの話を聞いてきた
南洋群島ですが


どことなく
ぼんやりとした認識で


世界地図を
ときおり眺めて 

旅の準備をしている
ところでした


そうして...

ふと 気づきました



サイパン島の上(北) に
アナタハン島が
あることを...



南洋の島とだけ
漠然と認知していた
アナタハン島の位置が

はっきりと
わかった瞬間でした


無人島だった この島には

戦前から
南洋興発という会社の
出張所がありました




(使用中のもので汚れています。一番上にある青いマーカーがアナタハン島です)





アナタハン事件は
1944年6月


この孤島で

女性ひとりと
32人の男性が暮らすことに
なったことから
始まります


女性は
南洋興発社員の夫と共に
アナタハン島で
暮らしており


そこに
米軍から攻撃された
徴用船の乗組員たちが

負傷兵と共に
生命からがら 
逃げこんできたのです



米軍の空爆から
逃れながら

島での自給自足の暮らし

まともな食糧もないなか
ネズミや
トカゲなども食べ 
日をつなぎ

唯一の慰めは
ヤシ酒だったといいます


そして
女性をめぐって
または 別の理由により

米軍に救助されるまでの
6年余の間に

殺人事件が起こり
行方不明者が出


帰還できたのは
そのうちの20人
だったといいます


のちに
アナタハンの女王と
呼ばれた、この女性の名は
比嘉和子(沖縄出身)


彼女をめぐり
仲間うちの不穏な動きが
絶えぬなか

彼女は
自身の殺害計画を 
知らされ  逃亡

身を隠しながら

1950年6月、米国船に
救出されました


和子の投降をきっかけに
米軍の救出作戦が
本格化

1年後の 1951年 6月
残る全員が保護され
同年7月 日本に帰還 
しています



その特異な状況から
生きて帰った 和子は

アナタハンの女王として
世間を賑わせたと
伝えられています






夫と出会う前
南洋群島のパガン島で
カフェーの女給をしていた
和子


弱冠22歳ながら


生まれ島を出て 
外で生きる
バイタリティが
あったと思います


健康的な身体をもち
生き延びた
彼女は 


島での真実を伝えたいと
名乗りをあげ


好奇の目に
晒されながらも


島の事件を描いた
映画に主演し

華々しい時代が
あったと資料にあります


アナタハンブームが
去ったのち
忘れさられ、帰

のち再婚

50代で病没






わたしが信頼する作家
桐野夏生さんが

この事件をヒントに
"東京島"という小説を書き

その作品が
映画化されていることを
今回 はじめて知りました



手元に
古い週刊誌のコピーが
あります


私がこの事件を
知るきっかけになった
資料です


スキャンダラス? な
描き方かもしれません


コピーをいただいて
ざっと読み

詳しく確認もせず
ファイルしていたものです

もっと古い雑誌かと
思っていましたが

1999年の『週刊新潮』

多くの人が
目にしておられるかも
しれませんが...


アップしてみます


ご興味のある方に
お読みいただければと
思います











生きるか死ぬかの
戦場


その非日常のなかで
もつれる男女の欲望と恐怖


作り話のようでいて
本当にあった話


私たちは 日々
何かしらの場面で
どう生きるかを
試されていると思いますが


極限の状況下では
待ったなしで
試されることでしょう


ただ、ただ
怖ろしい環境だったことを
想像し

いろんな意味で...

タフネス 和子!


死者が増えたのは

他の地上戦でも
そうであったように


終戦・敗戦を信じず、の
悲劇があったからだとも
思います


最後に
桐野夏生さんの切抜きを
アップして
閉じたいと思います

事件とは直接、関係ありませんが、あらためて読むと、この事件をヒントに小説を書いたことが理解できるように感じます
(左端がヨレヨレです。共同通信社配信記事、年月日不明)






冒頭の赤黄の花は
ハンギングヘリコニア
まだ咲きかけです

風景写真は
私の住む地域の野山

皆さま
今日もご訪問
ありがとうございました

外は土砂降りの雨です