過ぎた6月は
この地では、慰霊月でした


(描写に激しいところが
あるかもしれません)





73年前のあの日は
晴れていただろうか


砲弾がやんで


山河に
日差しは明るく
照りつけただろうか

蝉は しぐれて
鳴きつづけただろうか


青空のもと、の
深い哀しみ

悲しみを 悲しみと
覚えずに


人々は
まだ 山野をさまよって
いただろうか


戦争の 終結のあとも

情報が途絶えたために

無残な 殺戮に
あった人もいたことは

なんと
辛いことだろう

地理的に
勝手に 要所とされることの
理不尽

そこに
生きて暮らした人々の
日常は

消えた

それは
この地に限らず

南方の島々でも
北方の島々でも


(...  いまも 地球上で 爆撃が
こだましていることは
辛いことです
なぜ、戦争はおこされるのか...
根源的な問いは続きます)






どうにもならないことや
理不尽なできごとに
対しては

思切らな なゆめ
(うみ ちらな なゆみ)

思いを断ち切って
行くしかない


これは、ある方が
若くして病死した弟の死を思い
その時の心境を
詠んだ歌の部分


その歌の全文の意味は...

深い悲しみは
いつまでも
忘れられないことだ

あれやこれや
あるけれども

みな、人生の
途中(となか)にあるもの

悲しみの思いを断ち切って
こころを、しかと締めて

生きていくしかないのだ


たとえ
悲しみは消せないにしても

生きていかなければ
ならないのだと...




73年前の  あの戦火を逃れ
生き残った人々


ある人は家族全員が
爆撃などにやられ
孤児となり

ある人は
敵に殺されるよりは、と
家族に手をかけ

地獄を  抱えたまま
戦後を生きて
信仰に救いを得(え)


また、ある人は

さまよい
たどりついた道で
水たまりをみつけ

喉を潤そうと
汲んだ手のひらの水は

赤く濁った血の
水だったと
語った

たくさんの
戦争手記に明日とも
知れない日々を
生きてきた人々の記録が残る




捕虜収容所では
あらたな、生きるための
活動が始まっていて

音楽や舞踊が
生きる力を取り戻してくれた


ある人は

暗く  うち沈んだ家々を回って

せっかく生き残ったのだから

いのちのお祝いを
しようと 勇気づけた

散り散りになっていた
家族が再会し

あちこちで
戦後(せんご)  が 始まった

それぞれが


思いを断ち切って
戦後を
生きてきた

その出発に
あったのは

生きる本能と
人の情けでは
なかったか



わたしに
この歌をしめして下さった方は

いまも
明るい笑顔で
語ってくれる

88歳の祝いも済んで
父母の生きた年齢を
足したぶんになった

父母に生かして
貰ったと語ってくれた

その方の両親は
戦争で亡くなったわけでは
ないけれど

戦後は
人を頼り
情けを頼り
今に生きていらっしゃる


柳はみどり
花は紅(くれない)
人はただ情け
梅は匂い
(琉球の古典音楽・柳節。上の二句は、宋時代の詩人・蘇東坡の詩句からとられたものだろうか)


戦争を経験された方々は
高齢だけれども

慰霊祭に

手をひかれ
杖をつき、おとずれる

わたしは
今年も
学徒隊の慰霊祭に参加し
鎮魂のための演奏を
させていただいた

そこでは
追悼と鎮魂の
ぢゃんな節を歌った

その歌は

昔のことだけれども
今でも 心深くに
忘れられないのは
あの人の情けである

と歌う




ここ数年
慰霊の日は
日差しが熱くふりそそぎ

戦争を 
経験していないわたしでも
汗と、なみだ のような
日になる


線香のけむりに
しずかにまとわれて...


慰霊月


今年も
この地で亡くなった
ご家族のために

多くの方々が
慰霊の旅に訪れて下さった


6月は
鎮魂と祈りの月



73年前
戦場だった場所にてー








こころに
痛みが残る死に 黙祷を
ささげて