橋幸夫が他界して、4ヶ月になりますね🕯️

自分にとって師と仰ぐ橋幸夫の他界は、アイドルユリ子の取り乱し方が、尋常では無かったですよ😢

漸く落ち着きが戻って来たようです。

 

今回、アイドルユリ子の番組は、橋幸夫追悼番組となります📻

長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。

 

CM『この道30年の職人が、心を込めて打ちます。

美味しい〜おかわり!

へい!お待ち。

千里山駅前・手打ちそばの山本庵』

 

CM『電気のことでお困りなら、川岸町の安村電設。

1級電気工事士が、懇切丁寧に御相談。

JR南吹田駅から歩いて5分!

弱電から強電まで、信用と実績の安村電設』

 

CM『吹田警察署では、21日夜にJR吹田駅前で、立ちションの取り締まりを実施します。

吹田警察署からのお知らせです』

 

『FM吹田が4時をお知らせします』

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『山に向かって 元気よく

海に向かって 晴れ晴れと

歌え我が友 新しい~』

(フェーズアウト)

 

『皆さん、こんにちは。

歌手の田辺ユリ子でございます。

いつものように、1960年代の青春時代に、私がご招待致します。

ご存知のとおり、この夏に橋幸夫さんが他界しました。

私にとって、橋幸夫さんはビクターの先輩だけでは無く、歌手としての在り方を教えてもらいました。

「吹田ブルース」では、勿体なくも最優秀歌唱賞を頂いたとき、橋幸夫さんからは『スターダムに上がっても、無名だった中学生時代を忘れずに』と、厳しくも優しく激励して頂いたのを、今でも鮮明に覚えています(涙声)』

 

『今も現実が受け入れられずにいますが、二週続けて橋幸夫さんの追悼番組と致します。

それで、いつものオープニングでは、橋幸夫さんの「若いこだま」となりました。

なお、本日は皆さんからのリクエストはお休みして、私が選んだ橋幸夫さんの歌を紹介しますね』

 

『ご存知のとおり、橋幸夫さんは昭和35年に17歳でデビューです。

吉田正先生に師事ですが、その前は遠藤実先生に師事でしたね。

遠藤先生は、既に芸名を「舟木一夫」と用意されていたのも、有名な話です。

デビュー曲は、お馴染み「潮来笠」ですが、これにはエピソードがあり、実は4曲のうちどれを選ぶかでした。

吉田先生の勧めで「潮来笠」になりましたが、お母様は「伊太郎旅唄」を推薦していたそうです』

 

『それでは、昭和35年、幻のデビュー曲「伊太郎旅唄」を、お聴きください』

 

『こちらも、幻のデビュー曲「あれが岬の灯だ」です。

潮来笠が大ヒットして新人賞を受賞で、これで股旅物のイメージが定着したかと思えば、しっかり現代歌謡も歌っていますよ。

それでは、少年の声が残る橋幸夫さんで、お聴きください』

 

『この頃から橋幸夫さんは、現在歌謡も積極的にリリースされています。

ファンとしては、股旅物や現代物など、レパートリーを楽しめたことでしょうね。

私が色んな分野の歌を歌うのも、やはり影響がありますよ。

主題歌となった映画「明日を呼ぶ港」では、橋幸夫さんも出演されています。

10代の頃の橋幸夫さんは、モノラル録音のほうが、声が活きているように感じます』

 

『それでは、昭和36年、マドロス歌謡「明日を呼ぶ港」を、お聴きください』

 

『この頃は、市川雷蔵さん主演の映画に、橋幸夫さんの主題歌が定着していました。

「木曽節三度笠」「中山七里」などがありますね。

沓掛時次郎も、その1つですよ。

橋幸夫さんは市川雷蔵さんを、兄貴のように慕っていたそうです。

それで、共演も「おけさ唄えば」「花の兄弟」など、何度かありましたね。

映画「沓掛時次郎」のラストでは、幻の4番が流れていましたよ』

 

『それでは、昭和36年、18歳の橋幸夫さんが歌う「沓掛時次郎」をお聴きください』

 

『映画と合わせて、テレビドラマの主題歌も歌っていますね。

「若いやつ」と、ここで紹介する「雲が呼んでる」です。

ドラマの内容は、飛行士を目指す整備士を描き、歌詞を見ると、既にお母さんとお兄さんが他界されたように感じました。

ヒロインには、梓みちよさんですよ』

 

『それでは、昭和37年「雲が呼んでる」を、お聴きください』

 

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『今週のユリ子のイチオシ~!』

(エコーを効かす)

 

『今週のユリ子のイチオシでは、橋幸夫さんの追悼番組と言うことで、昭和37年の「すずらん娘」を紹介します。

これは、札幌を舞台とした映画「あした逢う人」で、ラストシーンに流れて来ます。

私も登別温泉へ仕事で赴いたとき、旅館の窓から「すずらん娘」を歌ったものです。

また、翌年の昭和38年には、松竹映画「若いやつ」が制作され、橋幸夫さんと倍賞千恵子さんが共演です。

橋幸夫さんは、川中島自動車の社長息子との身分を隠し、車掌見習いとして奮闘します。

善光寺では、川中島自動車のジャンパーと制帽姿で、倍賞千恵子さんとデートの場面があります。

そこで「すずらん娘」を、デュエットで歌いますよ』

 

『歌詞の冒頭で「航空便で~」は、当時としては斬新だったでしょうね。

何しろ、飛行機の運賃が国鉄の1等車と同じと聞けば、庶民には高嶺の花だと思います』

 

『それでは、昭和37年「すずらん娘」を、お聴きください』

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CM『住まいのリフォームのことなら、45年の確かな実績。

劇的ビフォーアフター!

吹東町ヤマザキパン向かい、相野住設』

 

CM『ああ、肩こりが治らへんな。

それなら、鍼は如何ですか?

ベテラン鍼灸師が、あなたのツボを押さえます。

それ、ええやん!行こ。

豊津駅前・太陽鍼灸院』

 

CM『毎週、日曜日の夕方は、私が懐かしの青春時代へご招待です。

懐かしい中にも、新しい魅力をお届けします。

田辺ユリ子の1960sメモリー

聴いてね💕』

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『番組後半は、昭和38年以降、大人の声となった橋幸夫さんの歌を紹介します』

 

『当時、東京は若者にとって、憧れの街でした。

それで、歌謡曲でも東京を歌うのが多かったですね。

橋幸夫さんの歌でも「東京の美少年」が、リリースされています

昭和38年には、吉永小百合さんとのデュエットで「若い東京の屋根の下」が発表されています。

歌詞の中で「下るメトロの階段よ」は、まさに東京を象徴する光景ですね。

そして、吉永小百合さんと浜田光夫さんの共演で、同名映画も制作されています。

このときの主題歌でもありますが、残念ながら橋幸夫さんは歌だけの出演でした』

 

『それでは、昭和38年、吉永小百合さんとのデュエットで「若い東京の屋根の下」を、お聴きください』

 

『昭和39年と言えば、東京オリンピックですね。

戦争に負けて19年、「夢の超特急」と謳われた東海道新幹線と共に、復興ぶりを全世界にアピールした年でした。

橋幸夫さんも、協賛でリリースです。

これはレコードでは無く、雑誌「明星」の付録でソノシートですよ。

歌詞を拝見すると、「君が代の君」とあり、日本人の心と伝統を大切にしながら、我が国は世界に向けて発展する思いが、歌に込められているように感じました』

 

『それでは、昭和39年「人間みんな同じ」を、お聴きください』

 

『昭和30年代、日本を席巻したロカビリーは、やがて「サーフィン」「ホットロッド」などの、リズム歌謡を生み出すことになりました。

吉田先生も注目していて、昭和39年には橋幸夫さんが「恋をするなら」をリリースで、歌謡界にエレキブームを巻き起こすことになりました。

洋楽のアストロノウツの皆さんが、1964年にインストロメンタルの「サーフパーティー」を発表されましたが、「恋をするなら」にリズム感が似ていますよ。

後日、吉田先生とも交流を深め、橋幸夫さんの曲をカバーされています』

 

『それでは、昭和39年のリズム歌謡「恋をするなら」を、お聴きください』

 

『橋幸夫さんの一連のリズム歌謡は、昭和39年の日本レコード大賞企画賞が贈られました。

昭和40年は、空前のエレキブームで、あちこちで「テケテケ」でしたね。

いつもの吉田正先生と違って、いずみたく先生が作曲の「僕らはみんな恋人さ」も、随所にテケテケが盛り込まれています。

バックコーラスの掛け声も、若さが溢れています』

 

『それでは、昭和40年のエレキ歌謡「僕らはみんな恋人さ」を、お聴きください』

 

『一連のリズム歌謡は、昭和41年頃が最高潮だったようです。

大瀧詠一さんも、リズム歌謡研究家「厚家羅漢」を名乗り、橋幸夫さんのリズム歌謡を考察されていますよ。

その中で、この「恋と涙の太陽」が、成熟期に達したと述べられていました。

エレキとジャズを融和させた、アメリアッチのリズムを採り入れ、中川三郎先生による振付けも紹介ですよ。

また、この歌は同名映画の主題歌でもあり、富士急ハイランドがロケ地でした。

夏になると、歌いたくなる方もいるでしょうね』

 

『それでは、昭和41年、「恋と涙の太陽」を、お聴きください』

 

『本日は暖かいですが、年末に向けて寒くなって来ましたね。

こんなときは、やはり冬の歌が聴きたくなります。

冬と言えば、「霧氷」を思い出すのでは無いでしょうか?

バックコーラスも、寒さを演出していますね。

先月の朝、霧が立ち込めていて、思わず「霧氷~霧氷~」と歌ってしまいました』

 

『それでは、昭和41年のレコード大賞受賞曲「霧氷」を、お聴きください』

 

『この頃は、エレキブームが留まりを見せず、あちこちでテケテケです。

そして、エレクトーンとの組み合わせで、ゴーゴー喫茶で踊るリズムですね。

この「若者の子守唄」は、あまりにもエレキが賑やかで、子守唄にはならなさそうですが。

しかも、冒頭から一気に目が覚めそうですよ。

そして、作詞はサトーハチローさんが、意外なところですね』

 

『それでは、昭和42年、スクールメイツの皆さんと共に「若者の子守唄」を、お聴きください』

 

『番組も終わりに近づきました。

橋幸夫さんと言えば、やはり吉永小百合さんとのデュエット曲で、昭和37年の日本レコード大賞の「いつでも夢を」ですね。

これは、橋幸夫さんのみならず、昭和を代表する歌として、世代を越えて親しまれています。

コンサートでのトリでも、お馴染みでした。

翌年には、同名映画が制作されましたね。

登場人物が「千住の貨物駅で」のセリフから、東武鉄道の沿線が伝わりましたよ』

 

『皆さんも、ラジオの前で一緒に歌いましょう。

昭和37年「いつでも夢を」です』

 

『お別れの時間が、やって参りました。

私が選んだ橋幸夫さんの歌、如何でしたか?

次回も橋幸夫さんの追悼番組で、皆さんからのリクエストをお待ちしています。

それでは、来週のこの時間にお会い致しましょう。

さようなら(再び涙声)』

 

『もしも この意気 くじけたら

もしも この道 はずれたら

友の情けの 歌声で

勇気を出せと 言ってくれ

若いこだまが こだまを呼ぶよ

紅い血潮の この二十歳~』

 

『FM吹田が、6時をお知らせします』