※これは、本アカで時おり紹介している、タイムスリップ短編の転載です。

好評だったかどうかは、ご想像に任せますね。
(なお、画像は全て頂いたもので、撮影した御方から快諾を得ています)

昭和37年8月。
田辺ユリ子は、府立高校に通う2年生である。
7月の補習が終わり、いよいよ本格的な夏休みを満喫することが出来る。
社会科の地図帳を見ながら、半日コースで旅行がしたくなり、3日に決行となった。

朝、桃谷の自宅を出て、下味原町まで歩いた。
夏休みではあるが、襟とスカーフが紺色である制服の白いセーラー服姿だった。

下味原町の大通りにはクルマが往来して、それを掻き分けるようにして大阪港行きの市電が来た。
安全地帯が無いところから乗車するので、ユリ子は『おい!市電に乗んねん、停まれや!』と手を上げて、クルマを運転する者に叫んだ。
市電に乗ると、ニキビ面の車掌に15円を渡し、切符を買う。
『お待ちどうさんです。次は小橋西の町、降りる方ございませんかぁ』
上六を過ぎ、千日前通りをクルマに挟まれてノロノロと走り、湊町駅前に着いた。


ここから関西線に乗るわけであるが、桃谷の自宅からだと城東線に乗って天王寺へ向かったほうが早く着く。
しかし、ユリ子は始発駅の湊町から乗りたくなったのだ。
ミナミの玄関口である難波の近くながら、場末で殺風景なところであり、どちらかと言えば荷受けで賑わっている。
駅の傍に難波新川があり、船便との接続には有利な立地だが。

駅の外れでは、角刈り頭に捻りハチマキのオッサンが、上半身裸で貨車から積み荷を下ろし、トラックに積み替えていた。
一方、トラックの運転手と助手はタバコを吹かしながら、競馬と女の話しに夢中だ。

『王寺回りで生駒まで一枚』
窓口でダルそうな駅員に95円を渡し、『湊町から生駒ゆき(経由:王寺)3等95円』と表示された切符を受け取った。

ユリ子は改札口を抜け、2番線に停車中の名古屋行き普通列車に乗ることにする。
蒸気機関車の後ろには、煤で汚れた客車が連なり、荷物車では郵便の積み込みに忙しい。
また、窓の下に青い線がある客車があり、これは2等車だ。

隣にはクリーム色とオレンジ色に塗り分けられたディーゼル車が停まっており、これは先発の準急だった。
経済的にも、100円を余計に支払って準急に乗る余裕は無かった。

ユリ子は「天カメ・オハ61317」と標記されている客車に乗り込んだ。
車内は汚く、暑苦しい。
おまけに便所からは異臭も漂う。
準急が出発して、10時35分になった。
発車のベルが鳴り、いよいよ名古屋行きが出発だ。

湊町駅を出発すると、全体的にガランとした風景である。
ユリ子は昭和20年に、家族が疎開していた吉野で生まれた。

戦災を受けた時の様子は、当時旧制中学2年生だった長兄から聞いている。

当時学徒動員で、天下茶屋にある近畿日本鉄道(現在の南海電車)の修理工場で働いていたが、南田辺まで避難したそうだ。
この辺りも戦災で焼け野原になったが、戦後の復興も市内中心部に集中しているのか、まだバラック建ての家屋も目立つ。

町外れのような今宮駅を過ぎると、臨港線と合流した辺りで通天閣が見え、新世界では日の高いうちから労務者がクダを巻いている姿を想像した。
列車は煙を撒き散らせながら、動物園を横目に天王寺駅に着いた。
ここで、ほぼ満席となり出発した。


朝夕しか列車が停まらない街外れの百済駅を通過して平野駅を出発すると、車窓からは田園風景が広がり田んぼと畑が混在して、社会科で習った近郊農業を思い出した。
田畑の向こうに生駒連山を望み、反対側を見れば、八尾空港を飛び立つ自衛隊機の姿がある。

名古屋行きの長距離列車のためか、加美や久宝寺、志紀には停まらなかった。

数年前に奈良まで複線化されたので、行き違い待ちが無いのがよい。
柏原からはブドウ畑が山の斜面を占め、生産高が全国5位を誇る堅下ブドウの産地であることが判る。

ブドウ畑の向うには近鉄大阪線の線路が並んでいて、緑色の電車が疾走していった。

キツネが出ると聞いている河内堅上駅を過ぎ、汽笛を鳴らし大和川を渡ると、線路の両脇には山が迫って来る。
昭和初期、大規模な地滑りが発生した地点では、まだその痕跡が残っていた。
長い汽笛が鳴った。
トンネルに入る。
乗客達は一斉に窓を閉めるが、必ず不心得者がいて、開いている窓から煙が入り、客室は忽ち煤だらけになり、咳き込む者もいる。
煙が充満する蒸し暑い客車にうんざりして、これだから汽車に乗るは嫌である。
これなら近鉄電車に乗ったほうが速くて快適だが、関西線のほうが運賃も安く、貧乏性を出したのが裏目となった。

トンネルを抜けてから、白いセーラー服に付いた煤を払いながら、煙が抜けきらない客室を出てデッキに立った。
走行中も扉が開けっ放され、身を乗り出すと、先ほどの煙地獄から解放された気分になった。

大和川と線路に迫る切り立った山肌は次第に低くなり、代わりに田園が広がると間もなく王寺だ。
どこにでもあるような田舎の町並みに迎えられ、列車は王寺駅に到着だ。

『王寺~王寺~、列車が完全に停まるまでお待ちください~』
ユリ子は停まる前に飛び降り、転ばず無事ホームに着地して、自分の運動神経を再確認した。
勿論、駅員に笛を鳴らされ注意されたが。

ホームの洗面所で煤で黒くなった顔を洗う。
ついでに、紺色のスカーフを外し、『関西線なんか、二度と乗るか!』と、ぼやきながら煤を払った。
再びスカーフを付け、改札口で切符を見せて、「信貴山・平群・生駒ゆき信貴電車のりば」と書かれた駅に行く。
ここから信貴電に乗り換える。
関西線のホームに隣接する小さな駅には電車の姿は無く、人影も疎らだ。

トタン葺きの屋根が覆いかぶさるホームは暑い空気がこもって、木製のベンチに座っていても自然に汗が流れた。
旅館の広告と共に「国鉄周遊指定地」との看板があり、観光地の玄関であることが判る。

田舎の垢抜けしないオバハンが、駅員との世間話に余念が無く、郵便配達の自転車がホームに進入して来る。
程なくして、王寺行きの札を掲げた緑色の電車が到着した。
たった1両の汚い電車は、なんと木造ではないか!
空には人工衛星が飛び交い、再来年には新幹線が開通して東京まで4時間で行けるようになる時代に、未だこんなボロ電を使っているのかと、驚いたのは言うまでも無い。

発車前に、駅員が運転士に丸い輪を渡した。
好奇心旺盛なユリ子は、運転士に『それ、何ですん?』と質問した。
どうやら、単線での正面衝突を防ぐための通行票らしい。
発車のベルが鳴り、車掌が1枚ずつ扉を閉めて回った。
動きだすと、電車はミシミシと音をたて、今にも分解してしまいそうだ。

大和川に架かる貧相な鉄橋を渡ると、信貴山下駅に到着した。

駅の隣には車庫があり、ボロ電と貨車が数両並んでいる。
虎と毘沙門天の信貴山へは、ここからケーブルカーだが、ユリ子は高安山から信貴山へ行ったことがある。
真っ暗な地下回廊は、信貴山の強烈な印象として焼き付いている。

生駒連山を左に眺め、田舎風景の中を、電車は吊り革を踊らせ、左右に揺れながら走る。

窓は全開で、車内に涼しい風を入れてるが、太陽の照り返しをまともに受ける進行方向左側は、鎧戸が閉められ薄暗い。
車内の乗客を見れば、無精髭を伸ばし放題の野良着のオッサンが汗を手拭い、イガ栗アタマの鼻タレ小僧は電車という数少ない文明に触れて喜び、オバハンは床に芋を満載したカゴを置いてウチワを扇ぎ、隣に座っている割烹着姿の若い女性に語り掛ける。
『タミコハンとこのアキ坊、来年なぁ奈良の高校へ行きよるんやって』

課外登校からの帰りか、地元の女子高生も数人乗っているが、ユリ子と同じセーラー服姿ながら、ヘルメットみたいなおかっぱ頭とお下げ髪である。
セミロングの髪に水色のヘアバンドをしたユリ子は、この電車の中で都会の香りを放っているのは、自分だけだと思った。

電車はラッパを鳴らし突然停車した。
何事かと前方を見ると、牛を連れたオッサンが線路を歩いているでは無いか!
オッサンが線路から退いたのを見届け、再び発車した電車は、ガタガタミシミシと音をたてながら、草ぼうぼうの心細い線路を走る。
このまま、生駒まで崩壊せずに到着するだろうか?

昼時になり、お腹がすいてきた。
車内で飲食するのは、汽車だけである。
田舎っぺの電車であっても、ユリ子の自尊心が許さない。
花の栽培で有名な平群(へぐり)で降り、ボロ電を見送った。
この駅では行き違いをするので、対向の王寺行きも間もなく出発した。

田舎の集落の外れにある平群駅のプラットホームで、持って来たおにぎりを食べることにする。
真夏ゆえに食中毒を防ぐため、梅干しを中に入れていた。
稲穂の匂いと蝉の合唱は、夏のけだるい昼を告げているようだ。
駅の横にある踏切では、車体に鹿の絵を描いた奈良交通のボンネットバスが一時停止して、女の車掌が降りて来る。
『オーライ』の掛け声で、バスは線路を横切った。

30分経った頃、丸い輪を持った駅員がホームにやって来た。
そろそろ電車が来るようだ。
明らかに地元民には見えないユリ子に駅員は、『姉ちゃんは、どっから来たん?』と、訊ねてくる。
『大阪から来ましてん』
『わざわざ、こんなところまで来たんかいな?』
信貴電に1人で乗る大阪の女子高生は、よほど奇妙に見えたようだ。

暫らくして、生駒行きの電車がやって来た。
例によって木造のボロ電だ。

乗客たちは、車掌よりも早く扉を開けて降りて来た。
駅員は『平群~平群~、行き違いのため暫らくお待ちください』と乗客に叫んでいる。

田舎の駅は、一瞬賑やかになった。

再び電車の乗客となり、相変わらず大揺れしながら、生駒へ向かった。
単調な景色に見飽きてきたが、日本史でお馴染みの場所でもあり、授業を思い出すことにした。
竜田川は、小倉百一人首で『千早ふるかみよきかずたつた川からくれないに水くぐるとは』と詠まれている。
車窓からも烏土塚古墳など、飛鳥時代の遺跡も散見された。
芭蕉が詠んだ『菊の香に くらがりのぼる節句かな』の暗峠も、すぐ近くだ。

菜畑というボロボロの駅を出発すると、竹やぶの中の上り坂を少し速度を上げて走り、カーブに差し掛かったところで、右手に近鉄電車の線路が近づいて、奈良へ向かう緑色の電車が走り去って行った。


菖蒲池にも行きたくなる衝動を抑える中、山に囲まれた終点の生駒駅に到着だ。
『お疲れさんでした。終点の生駒~』
車内で車掌が乗り換え案内している。
他の乗客と共に改札口を抜け、隣接する近畿日本生駒駅に向かった。
本心を言えば、生駒山上へも行きたかったが、予算が許さない。
仕方無しに、孔舎衛坂(くさえざか)駅までの切符を買った。

上本町行きの各停が到着した。
信貴電とは違って汚くは無い。
乗客を詰め込んだ先発の急行を見届け、近畿日本生駒駅を出発すると直ちに生駒トンネルに進入した。
天井からわき水が落下して窓ガラスに当たり、前方から対向の電車が放つ光が接近して来る。
トンネルを通過する緊張感だろうか、車内は至って静かだ。
否、電車の轟音で聞こえないだけか。

やがて乳白色の光が差し込み、トンネルを出たところにある孔舎衛坂駅に着いた。
ユリ子は、トンネルに吸い込まれる奈良行き電車の通過を待ち、線路を渡り木々に囲まれた待合室みたいな小さな駅の改札口を出た。
ここは枚岡市で、眼下には大阪平野が広がり、遠くに大阪の街が一望できる。
小学生の遠足で奈良の若草山へ行くとき、電車が瓢箪山から一気に山を駆け上がり、大阪平野が広がるこの風景を見て感動したのである。

ユリ子は、駅前の商店で10円のラムネを買って飲み干して、次の計画を考えていた。

おわり。