かわっちゃんです。
 
 
 
 
 
息子の将来とか色々考えますが
 
僕の事業の何かに役に立ってもらおうとか
あるいは、看板になってもらおうとか
 
全然考えなくなりました。
 
 
きっかけではあるけれども
君はただ、ここに居ていい
 
 
それだけだよねって。
 
 
色んな方々に昔から
愉しそうなアドバイスももらいましたが
何か違うかな!
 
 
 
僕にはどこか恐れがあるみたいで
それに気付けたからなんですが・・・
 
 
 
 
 
 

僕が今、恐れているのは

  • クレーム

  • 炎上

  • 誤解

とかではなく、

自分の子が否定される空気を、
社会の中で再現してしまうこと

です。

 

 

 

 

 

 

 

それを止められるなら、

 


どれだけたくさんの人達に

「あなたのしていることは合わない」と言われても、
その居場所は成功、だと思うんです。

 

 

 

 

 

 

(まずは家族でしょ!)

 

 

 

 

 

 

 

福祉を3年(もうすぐ4年目)になるのですが

息子のことを考えていくと

福祉サービスだけだと居場所としてやっぱり窮屈だなと

思うことがずっと悩みでもありました。

 

 
 
 
これは本当に告白というか実際
やってみないとわからなかったです。
 
 
 
 
経営と運営の経験というよりも

僕は、場を信じる事の経験値が浅かったなと

思ってます。
 
 
 
 
 
 
 
で、今はその経験値を得たと思っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でもそんなに遠くない先で
実現する準備予定ですが
 
 
 
 

リトリートサロン

 
 
 
を展開しようと思っています。
これはずっと移住し始めた時から考えていました。
 
 
で
そのコンセプトをまとめてみました。
 
 
 
 
 
 
 
 
どんなサロンかというと
 
 

支援の延長線上にある文化的な場所

 
 
です。
 
 
 
ですが

支援そのものを提供する施設ではありません。

 

 

 

けれど、
支援を必要とする人の人生や日常を、
切り離して考えることもしません。

 

 

 


支援が終わったあとに残るもの、
支援の言葉が届かない場所、
そこから先に続く暮らしの空気を
大切にしていきたい。

 

 

 

 

(自然に。自然と)

 

 

 

支援の手前でもなく、
支援の中でもなく、
支援の“先”にひらかれた文化的な場所。

 

 

 

それが、
リトリートサロンの立ち位置です。

 
 
 
 
 
 
文化とは高尚なことではなく
 
 
 

文化とは、

  • そこにいていい

  • 何もしなくていい

  • 声があってもいい

  • 役割がなくてもいい

 
 
 

そうした感覚が
自然に共有されている状態のことです。

 

 

 

 

 

 

 

 

支援との関係性(行政・福祉との関係性)

としては
 
 
  • この場所では
    支援計画は作成しません

  • 指導・訓練・評価は行いません

  • 制度による報酬請求は行いません

ただし、

支援を受けている人が、
支援からはみ出ても
否定されない場

として存在します。

 

 

 

 

 

 

本当に必要な人だけが、
静かに届く場所になる。

 
 
そして
社会が忘れてしまった感覚を、
そのまま残すこと。
 
 
 
 
 
 
 

ちなみにそれを
「学びたい」と感じる人が出るのは、
副作用。

 

 

 

副作用は、
治そうとしないつもり。

 

 

副作用の居場所は
つくらなくても、勝手に生まれます。

 

経験上そう思います。

 

 

 

ただし、

  • 勝手に生まれたものは

  • 勝手に消えます

それでいいって。

 

 

 

残酷でもなくて

冷たいわけでも無くて

 

 

 

 

 

僕のやりたいリトリートサロンでは

そうしたアプローチでの

生産的なことは展開しない予定でいるんです。

 

 

 
一番大切なことを
なんとしても守りたいからです。
 
 
 
 
 
 
なのでコンセプトとしては
 
 

この場所で生まれた何かが、
外へ出て、
誰かの手で広がっていくことは、
私たちの関与しないところで起きるものです。

この場所は、
その先を引き受けません

 
 
 
という感じです。
 
これは
守りのための言葉。
 
 

僕が守ろうとしているのは

  • 人の居場所

  • 息子の存在

  • 壊れない空気

 

です。

 
 
 
これをちゃんとやらないことには
僕は、息子に居場所が残せたと言えないし
 
未来に向けて
これなんだよ、と伝えられるものが
誇りをもって言えない
 
 
何の人生だったんだろう
になってしまうし
 
 
伊豆に家族で移住してきた
本当のところが出来ないままになってしまうな
と思うのです。
 
 
 
 
 
 
 
つまり僕は人生として
 
 
  • 影響力を拡大したい人
    ではなく

  • “文化を壊さない人”

 
を選ぶことにしました。
 
 
 
 
 
ここが決められた感じです。
 
 
 
 
 
 

ここは源泉。
川は、外で勝手に生まれればいい。

 

 

僕が川を掘り始めた瞬間、
源泉は枯れます。

 

今の判断は、

つくりあげる
居場所を10年守る判断です。

 
 
 
 
 
 
なので
僕の作ったリトリートサロンの基本ルールや姿勢はこんな感じ。
 
 
 

この場所を壊さないための基本ルール

 

  1. ここでは、支援もしない。学びも提供しない。
     何かを良くするための行為は、この場所では行わない。

  2. 説明しない。言語化しない。意味づけしない。
     わからなさは、そのまま持ち帰ってもらう。

  3. 静かさよりも、安全を優先する。
     声・動き・予測できなさは排除しない。
     攻撃や管理の言動のみを止める。

  4. 副作用は引き受けない。
     ここで生まれた問い・衝動・活動は、
     この場所の外で、誰かが勝手に行うものとする。

  5. ここに居られない人を、無理に迎え入れない。
     合わない人がいることを、失敗としない。

  6. 成果・評価・再現性を求めない。
     何も起きない時間を、成功とみなす。

 

(宣言)

このリトリートサロンは、
人を育てるための場所ではない。
人が勝手に引き受けてしまうための、
通過点である。

 

姿勢はこんな感じ
  • 何か始めたくなったら → 外でやる

  • 説明したくなったら → 黙る

  • 拡げたくなったら → やめる

  • 評価されたくなったら → ここではない

 
 
 
引き受けないというのは
  • 支援を引き受けない

  • 学びを引き受けない

  • 感情を解決しない

  • 攻撃だけを止める

 
ということ。全部外で出来るから。
ここでは、居場所としての文化
 
 
ここにいるだけでいい、をつくりたい
と思っています。
 
 
 
  • 場をつくる
    のではなく

  • 社会の圧力から一つ、避難所を残していく

それも
声が出る子が、
説明されずに居られる場所を。

 

 

 

 

 

しかもそれは

拡げるものではありません。
守るものです。

そして、
守りきれる大きさで始めていく。

 
 
 
(マゴコロがそんな感じです)
 
 
 
 
 

つくりたくなる人や
やりたくなる人は、
勝手に外でやればいいと思う。

 

 

それは、僕自身もです。(今後も)

 

 

 

 

ここは、
いることだけでいい
それが許される場所をやりたい。

 

 

 

だから、
この場の文化づくりは、
この場だけを信じることだけすればいい。

 

 

 

そうすれば、
やることは自然と減り、
残ったことを、
集中して、丁寧にできる。

 
 
 
それがお休みということでもある。
リトリートの本質になると思う。
 
 
休むとは、
この場を信じ切ること。
 
 
 
 
  • 休ませる場所
    ではなく

  • 集中を取り戻す場所

をつくっていくんです。

 

 

 

 

 

 

それは、

  • 怠ける文化でも

  • 癒し消費でもない

信頼の文化です。

 
 
 
 
すごく高度な文化のサロンになっていきます。
 
 

このサロンの参加者は、
高度な関係性と文化を生きるという
チャレンジを引き受ける人たちです。

 

 

 

 

ここで求められるのは、多さでも、優しさでもありません。

  • 引き受けない。

  • 場を信じることだけになる。

  • 場を理解しようとし続ける。

  • 真に、場を尊重する。

 
 

それができる人だけが、
この場所に“参加”します。

 

 

 

 

 

とても高度で、人を選びます。

ですが、それでいいと思う。 国内外から来てほしい。

 

本当に。ふらっと。ちょっと。

とことん日本として。伊豆からとして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

特に

  • ケア・福祉・教育の最前線で疲れきった人

  • 「何かをしてきた側」で、限界まで行った人

  • もう方法論に興味がない人

  • 説明や正解を欲していない人

  • 自分の正しさを置いて来られる人

 
 
うちの子
そしてその友達たち・仲間たち
 
が自然とそこに居ていい場所。
でも支援施設ではなく
支援の延長にある文化的な居場所。
 

 

 

 

This place is not for everyone.

It is for those who can stop trying to hold things together.

 

This is a place that requires a certain attitude.
Not everyone will feel comfortable here — and that is intentional.
 
We do not teach, heal, or fix.
We simply trust the space.
 

We do not choose people.
People choose themselves.

 

 

 

 

 

 

 

そこにあるもの?

 

 

 

そう、大好きな遊具や、DVDや

ハンモック、絵本、ヨギボー

ホットスナック・・・

 

 

関係性を説明しなくていい

人とのつながりも、居るだけ

 

 

こちょこちょ

お姫様だっこ

軽いスキンシップ

 

 

場の空気を信じられるもの

 

存在と居場所を尊重しあえる

文化を守れるもの


 

 

つまり、うちの子の好きなもの

この世界に居てもいいと思える

すべての世界

 

 

 

そして限りなく守られた時間、元気なおたより。

 

 

 

 

 
 
 
ではまたニコニコ
 
 
 
 

 

 
 

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『文化は、教えられない。 尊重された場で、自然に立ち上がる』

 

 

このブログの発信者

 

川島庸 (かわしまいさお)

 

 

 

 
 

 

 
 
 

 

 

 

 

会社名】

株式会社自佑堂

住所】

静岡県伊豆の国市長岡188の12

 

事業内容】

放課後等デイサービス

アートの制作販売

相談業

 

 

e-mail】

guide@gyoudou.com

 

 

Noteブログ)

放課後等デイサービスの静かな再建と

子どもたちの居場所つくり・世界観つくり