みずま音楽教室
人を育てる上で大事なこと
人を導く上で大事なこと
子育て中の親御さんや学校・習い事の先生、職場での教育担当者の方にはさまざまな思いがあると思います
自己肯定感を高める言葉かけ
確かに大事なことだと思います
それと同時に…もしかするとそれ以上に私が大事だと思うことは
『上手に言えなくても良いから自分の困りごとを他人に伝えられるスキルを持つこと←手本を見せながら伝えること』だと思っています
お話で伝えることが難しい時は紙に書いて読んでも良いし、相手に紙を渡しても良いんです
「困っています。」
「辛いです。」「苦しいです。」「大変です。」
「助けてください。」
「わかりません。」
「もう一度言ってください。教えてください。」
「どうすれば良いですか?」
「一緒に◯◯してもらえますか?」
“そんなことくらい自分で言いなさい。自分のことは自分でしなさい”と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、それがとても難しいと感じる人、ヘルプの出し方が分からない人、もっと言えば自分の困り感に気づくことが難しい人、それを“誰かに相談しても良いんだ!”ということを知らない人もいらっしゃいます
私はそんな子どもさんたち、保護者さま方、大人の方をたくさん見て接してきました
アナタの“そんなことくらい”はワタシの“そんなことくらい”ではない
このことを知る…それだけで救われる人、自分で自分の今を、人生を歩み出せる人はいると思います
生徒さんはとある課題をいつも楽しみにしていますが、その課題の中で二重の問いを追課題として与えました
私は生徒さんに「もし分からないことがあったら『先生、もう一回言ってください。』って言ってね。先生は何回でも言ってあげるからね。」と伝えました
生徒さんはその二重の問いに一瞬戸惑う場面もありましたが、事前の言葉かけが功を奏し(少しはにかみながらも)「せんせー、もういっかい、いってください。」と自らヘルプを出すことができ、課題を終えることができました♪
かわいかったなぁ〜♡
そしてヘルプを出せたこと…頑張ったね♡
その取組みの中で生徒さんは何度かヘルプを出し、困り感を解決する実体験を得ました(ヘルプを出せたことも手伝って、課題はいつにも増して楽しく終えました♪)
生徒さんがさまざまな場面で必要と感じた時、自らの判断でそのスキルを使う実践力を持てたら…ミスも怖くないし自信もつくし、楽しいがもっと楽しくなる♪
SOSを出すことって一歩を踏み出す大事な大事なアクションなんですよね
本人の困り感→その困り感(分からないが故の焦り・恥ずかしさ)を隠したい・悟られたくない思いからその場を避けたり、おふざけのような表出をしたり、怒りとして表出する場合もあります(場合によっては感情が先回りして“相手のせい”として攻撃をするケースもあります)
出来れば困りごとは減らしたいし、こちらも減らしてあげたい
それを解決に近づける手段として、私は困り感を誰かに伝える練習を子どもの頃から積み重ねて欲しいと常々思っています
私がなぜそこに拘るのかと言えば、自分の不快感を取り除く為がメインですが、究極はその困り感を捻れさせないため
今、世の中で起こっている辛い出来事の中の一つは『その人の捩れの表出』で、そしてそれは頻発していると個人的に思います
本来は一つの困りごとだったはずなのにヘルプを出せずに自分に鍵をかけてしまうと当然ながら強い不安となり、持ち合わさなくても良いはずの背びれ尾びれの『不安の付属品』を身につけ、捩れて絡まってしまい、自分でも解くキッカケを失います
“そもそも何を望んでいたのか?何に対して困り事を感じていたのか?”
迷い子になった自分の感情は自分自身を追い詰め、不安は憎悪に変わります
願わくばその憎悪を究極の結果(間違った表出)に繋げてほしくない←あくまでも究極のお話です
憎悪の付属品を身につけないためにも、そもそもの困り感のスタートラインを見失わないように…だから自分の困り感に気づいて誰かにヘルプを出すスキルを持って欲しいのです
生きていく中で困った場面に直面したことがない人なんてこの世にいません
なぜその人は困っているのか?
場合によってはその人の特性も絡んでいたり、環境が助長させていることもあるかもしれません
指導や指示、支援をする側は、そういったその人の背景理解(知識)をある程度得ておかなくてはいけないとも思います
アナタにとっての「どうしようもないこと」は誰かに伝えることで、そして誰かと一緒に取組むことで一筋の希望や光に変わるかもしれません
「助けて!」と言えるスキルを備えることは『生きていくための工夫』だと思いますし、それを伝え教えてあげられる人の存在も必要だと思います
そして「助けて!」を言いやすい社会、寛容な社会であること…ですよね
