こどもの日・『児童憲章』を読む | 鞍手町ピアノ•エレクトーン•リトミック•障がい児対応可レッスン 「みずま音楽教室」

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福岡県鞍手町でピアノ•エレクトーン•リトミック教室の講師をしています!
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音符福岡県 鞍手郡 鞍手町の音楽教室音符

みずま音楽教室


先日のこと


乳幼児の頃の私の予防接種歴を確認する為に、母が保管してくれていた母子手帳を初めて手に取りました


母子手帳の中には私のささやかな成長を母がメモしてくれていて、それはそれは興味深く読みふけってしまいました(笑)




・11ヶ月…1人で少しの間立つ様になる/バイバイ、ヨンヨンヨン(←なんじゃそれ?笑)、オイデオイデ、イイ顔を1人でにしている(←1人でに…既にこの頃から怪しさ爆発笑)まだものは言わない(←今じゃお喋り野郎ですが笑)


・1歳…1人で歩くような格好をする/3,4歩あるいた!/はっきりと「嫌!」という表情をし、「いや!」と言う(その頃から白黒ハッキリしていたのね…笑)


・1歳1ヶ月…オムツ入れからオムツを出して遊ぶ、しかも1人でズーッと立って遊ぶ(←当然ながら記憶にないけれど…黙々と1人遊びをする私…なんだか想像がつくわぁ〜笑)


歩くようになった


転けては立ち、転けては立ちの繰り返し/片手を持ってやると歩く


・1歳2ヶ月…外へ出て川へ石を投げたりして遊んだ(私、水辺がなぜかとても好きで、何時間でも川面も見ながらボーっと出来る人なので…この頃からその片鱗を見せていたのかもしれません笑)



記憶にない自分の姿がそこに記されていることは本当に不思議なモノで、そして母も初めての育児にどんな思いでいてくれていたのかと思うと、何とも言えない気持ちを抱きました



50年物の母子手帳

それはもう、ちょっとした歴史書ではないか⁉︎(笑)


ボロボロの母子手帳の最後のページにある『児童憲章』




文科省HPからお借りしました


児童憲章を読むといつもジーンとさせられますし、背筋が伸びます(ニの『正しい愛情』という表現は謎だけれども)


特に児童憲章の前文の


われらは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める。

児童は、人として尊ばれる。

児童は、社会の一員として重んぜられる。

児童は、よい環境の中で育てられる。


これはね…ここを読むだけでも価値があると思います


ここ数年、私はこどもの日になると、この『児童憲章』をネットから探し出して読んでいましたが、今年からはシミだらけでボロボロだけれど、この母子手帳から読むことができます


この児童憲章が制定されたのは1951年


その6年前となる1945年が終戦ですので、当時の日本はまだまだ戦後の荒れ果てた混乱期だったのです


戦争孤児・戦災孤児も多かった中で如何に子どもたちを安心・安全の下で育んでいくか…その為の策定が急がれていたのです


その当時に比べれば今は物もお金も充実した世の中になったはずですが…


『児童憲章』を読み返して年々思うことは、子どもたちに『人権』があることをどれだけの大人が理解出来ているのか?ということ


特に『子どもと関わる大人たち』は


児童憲章は日本で制定されたものですが、私は全ての子どもたちを対象とした内容だと思います


その観点からすると、私は自分の教室の生徒さんも大事ですが、この国に住む子どもたちも、世界中にいる子どもたちも同等に大切な存在です

 

お腹を空かせた子どもたち


砲弾の中で恐怖に怯える子どもたち


武器を持たせてしまっている子どもたち


自分の居場所がない子どもたち


暴力や理不尽な環境下で耐え凌ぐ子どもたち


労働を強いられる子どもたち


『親子』『家族』という結びつき故に苦しんでいる子どもたち


学ぶ機会を奪われている子どもたち


性的対象として扱われる子どもたち


誰も信じることができない子どもたち


「助けて!」が言えない子どもたち


「助けて!」と言ってよいことを知らない子どもたち


自分が救助・養護・保護の対象であることを知らない子どもたち


母語が居住国の言語と違い、学校やコミュニティで孤立している子どもたち


“自分さえ我慢すれば良い”と思ってしまう子どもたち


生育上必要な人間関係の構築や教育・休息が得られず、“手伝うのは当たり前”と『人手』として扱われている子どもたち


選択の自由を奪われている子どもたち


※『子ども』を『大人』や『保護者』に置き換えた時に、同じように苦しんでいる大人や保護者が存在することも忘れてはいけません

   


例え私の直ぐ近くに該当する子どもたちが居なくても、それは『私の目や耳』に入ってきていないだけかもしれない


実際にその状況にいる子どもたちは山のように存在し、そんな現実世界を作り出したのはワタシタチ大人なのです


果たして私は子どもたちの人権侵害に加担していないか?


そんな世界を作ることに私は加担していないか?


そしてこの世界で起きていることを“知らぬ存ぜぬ”でスルーしていないか?


この意識を持たずして子どもたちと関わることは、子どもたちに対してとても失礼なことだと思うのです


遠い国の顔も名前も知らない子どもたちも


近所に住む子どもたちも


私の教室の子どもたちも


みんな、みんな、生きる権利があり幸せになる権利がある


そして人権がある


その人権を侵害しない、権利を奪わない


でも当事者である子どもたちは、『自分たちの為の憲章』があることを知りません


何故ならば『児童憲章』をきちんと教えていないからです


道徳の時間に『差別をしてはいけません』の授業後に感想文を子どもたちに書かせ、先生から花丸もらって終わり…こんなテンプレのようなことをする前に、先ずは義務教育中に『児童憲章』を学ぶ必要性があると思います


これだけでも救われる子どもたちはいるはずです


お守りになる子どもたちはいるはずです


本当はそんな“お守り”がなくても、子どもたちが自信を持って生きていける世の中に“大人が”しなくちゃいけないんだけどね


子どもたちが1ミリも心配せずに安心して生きていける世の中を作り、そしてその世の中を持続すること


それはワタシタチ大人に課せられた使命だと思います


世界中のこどもたちへ

どうか

どうか

健やかであれ





合わせて『子どもの権利条約』もぜひ

お読みください



#義務教育過程で児童憲章を学ぶ授業を作ってください