❇︎❇︎❇︎今回の内容は、教室やレッスンとは一切無関係なワタクシ個人の昔話です。ご興味のない方はスルーしてください❇︎❇︎❇︎
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私はこれまでに人が避ける道の先頭に立って、『最初の一歩』を踏み出す経験を何度かしています
なんだかえらく大物感のあるブログの冒頭ですが、本人至って小粒感満点です(笑)
それは人と人との距離が近すぎるが故に避ける道への一歩だったり、背負わなくてもよい人の思いを担いでの重い重い一歩もありました
共通すること…それは周りの人はそれぞれに言いたい事を言うけれど、誰も当事者と向き合わず、そして動こうとしないし話し合わない
何故?
“一言”を言えば責任の一端を担う事になるから
『取り巻きたち(敢えてこの表現を使いますが)』はアクションを起こす側に対し、リアクションをせねばならぬその相手を思い「可哀想だからやめた方が良い。」と言う人もいた(それは寝た子を起こすなと、まるでそれが“思いやり”と言わんばかりに)
状況によってはアクションを起こす事が相手への迷惑になるし、傷つけることにもなる
だから『踏み込んではいけないゾーン』に入らないよう、冷静に考えて私は線引きをしているつもり
でも私がいよいよ動く時…それは結果的に『動かなくちゃいけない場面』になります
私が切り込んだ大なり小なりのケースの殆どは、『ワタシタチはこの件に関わりたくありません。面倒な事には関わりません。』と言う取り巻きたちの“自分の保身”の酷い匂いに溢れていました
そういった経験の中で、今でも私の心の中から決して消えない・消せない・消してはいけない『ある出来事』があります
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10年前(2014)、私は命の灯火が今にも消えそうな【その人】を、本来いるべき環境へ届けるキッカケを作りました
【その人】は自分の死期のカウントダウンを分かっていましたが、それまでに【その人】は自分自身の事で多くの見誤りをし、その見誤りが意地となってどうしようもない所まで落ちていました
【その人】は関わった人との出会いという不運も大きかった
そして【その人】と血縁的に近しい人々との関係もひどかった
周りの人たちはありふれた言葉を掛けるだけで誰も【その人】を助けない
私は感じていたんです
『もう身体を動かせない自分が言うのも申し訳ないけれど
誰か私を救って欲しい
誰か私を救い出して欲しい
誰か私を助けて欲しい』
と言う【その人】の心の声を
しかし私の立場で何かしらのアクションを起こす事は、さまざまな人々との関係性の中で非常に角が立つ事だと分かっていました
でもこのまま【その人】の心の声に無視をし、外の光に当てない事は【その人】を闇に葬ることと同じではないのか?
【その人】の存在をナキモノにしていないか?
本来【その人】は明るくて思いやりと優しさに溢れ、気が回せてとても頭の良い人
そして【その人】からお世話になった人は数知れず
だけど…誰も動かない
そんな【その人】をこのままにしておく事はなんと不幸な事だろうかと『人の人生の最後』を考えた時、私は自分への誹謗中傷など「どーだって良いや!」と腹を括り、そこに立ちはだかっていた最も厄介な人物《Y》と対面し、その《Y》のファンタジーもどきな話をひたすら傾聴しました
「アナタまだお若いだろうから知らないと思うけど、病院ってね、墓場なんだよ。今“あの人”を病院に連れて行ったら一発で死ぬよ。それでも良いなら引き止めないけど。」と冷笑しながら話す《Y》
人の生死に関わる話なのに《Y》は自分語りに酔いしれており、私にはひどく醜く見えました
その後、《Y》の立場に立ちながら整合性を与えて懐に入った瞬間に、《Y》の思考と言動は、一般常識・現実・科学的根拠からかけ離れた非常に危険な考え方であると、一つずつ一つずつ論破していきました
「アンタ何様だ⁉︎アンタとても不愉快な人だ!」と血相を変え、怒り心頭の捨て台詞を吐いてその場を去って行った《Y》
その場面の一部始終を見ていたもう1人の人物は、私に対して「(アナタは気持ちが)強いのね。」と、まるで“他人事”のように言いました
私は無性に無性に腹が立って仕方がありませんでした
“本来ならばアナタがそうしても良かったでしょう⁉︎”と言いたかった
私は爆発しそうな気持ちを抑えながらも「怖がっていたら人なんて救えませんよ‼︎」と、精一杯の抗議をしました
私が本気なのだと分かると、この人は一瞬で顔が強張りました
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その日の夜、《Y》は自分がこれまでやってきた事の重大さに気付き(怖くなって)【その人】の下へ再び現れました
床に伏せる【その人】と取り巻きたちの様子を見に来た《Y》
なんと《Y》は昼間に自分から言い放った内容を変え、さも“私は怪しいことはしていませんよ”という保身に走りました
私は偶々その夜も【その人】宅へ再訪する事にしていたのですが、思わぬ形で同じ日の夜に再び《Y》と対面…《Y》は私を見るなり別人かと見間違うほど萎縮をしました
私は昼間に言い切れなかった事を全て《Y》に言いました
「この事を公にしたらどうなるか分かっていますよね?」と(裁判にしてもおかしくない案件)
その話が出ると逃げる様にして帰った《Y》
私はそこにいる大勢の人たちに対しても、これまでの【その人】への対応について苦言をさしました
全員私よりも年齢がニ回り以上も上の方々でした
でも言わなくてはいけなかった
どうして『ワタシ』という立場の人間が【その人】を救わなくてはいけなくなったのか?
なぜ誰も【その人】の状況を知っておきながらも知らぬ存ぜぬでいられたのか?
足代わりをはじめ、これまで散々世話になっておきながら厄介事と分かると「他の家庭の話だ」と他人事扱いをし、そして今頃になって【その人】に対して申し訳ないと言い出す
この場にいなくちゃいけない人間も来ていない…
これは一体どういうことなのか?
返ってきた言葉の数々は…それはそれは保身に徹した聞くに耐えない内容でした
漏れ聞こえてくる人々の声に状況を察し腹を括ったのか、床に伏せる【その人】は《Y》との決別の意思を泣きながらか細い声で宣言してくれました
眼を開く事さえ辛い【その人】が意志を固めてくれた
その意志確認が取れてから救い出す手立てが急ピッチで進み、翌日、【その人】は本来いるべき環境の中で“今できる事”を精一杯施すことになりました
【その人】の病状は元々の病巣が分からないほど身体中に腫瘍が点在しており、健康な臓器が一つもなく(脳や骨髄にも腫瘍があり、肝臓に関しては臓器の半分が腫瘍で侵食)お医者様も「過去に余り見た事のない血液数値(特に炎症数値が異常値)です。」と
「余命は…明日でも全くおかしくありません。患者さんがこの状態に至るまでの経緯は伺いましたが…もちろん患者さんの置かれた環境はそれぞれあるとは思います。
でも、どうしてここまでの状態になっていたのかと。極度の栄養失調状態ですし、腫瘍による痛みも相当なものであったと想像します。残念で仕方がありません。本当にギリギリのタイミングで来られたと思います。」と
その病院には【その人】が過去にとてもお世話になったドクターが勤務されていました
事情を聞いたドクターは【その人】の病室に立ち寄ってくださったそうですが、まるで子どもを諭すように「君は何の仕事をしていたの?」と【その人】の過去の職業を確認するように、優しく声を掛けられたそうです
そう
【その人】は元医療従事者でした…
それから僅か数日で天に召された【その人】
周りの人々は私に「良くやってくれた!ありがとう!」と声を掛けて下さいましたが、【その人】の状況を把握している人間が周りにこれほどいながらも、【その人】の気持ちを何一つ察する事なく、近寄らず、救い出すことをしなかった現実
私は自分が正義のヒーローだなんて1ミリも思ってないし、「私は良いことをした!報われた!自己満足だ!」だなんて思った事は一度だってありません
何故もっと早く救ってあげられなかったのかと、10年たった今でも私は自分を責め、その時のことを思い出すと悲しみと自分への猛烈な怒りで涙が止まらなくなります
逆に何も関わらなかった人間たちは、“そんな事もあった”と、『時の流れ』という有難くも便利な言葉で風に飛ばしているように私は感じます
人を救うこと
それは時に猛烈な痛みを伴います
でも救わなくてはいけない人・救えるかもしれない人・少しでもその人の心身が軽くなるのであれば、目の前にいるその人を私は私の出来る事で救いたい
それと同時に、「人を救う」と言う言葉は容易に使ってはならないとも思います
場合によっては相手も自分も、そして周りの人たちもめちゃくちゃにしてしまう恐れがあるから
私は今でも《Y》との対面の情景を一つ残らず覚えていて、《Y》の発言メモもとっています
メモは…なぐり書きなんです
慌てて書いたからではありません
私は冷静さを失わないようにしながらも手が震えていたのです
でもそれが悲しくも【その人】の存在を記すメモなのです
たった2枚の小さなメモ紙だけれど
【その人】が存在していた証のメモ
今年もそのメモを机の引き出しから取り出し、光りと風にさらします
アナタのことは私とこのメモが覚えています
心配しないで
アナタはちゃんと生きていました
