定期的に書き直したくなるプロフィール。

 

59歳の今、あらためて更新してみたいと思います。
 
 
 
結婚、出産、そして離婚
 
1965年、岡山で生まれ、11歳のとき父の転勤で兵庫県に来ました(以来、ずっと兵庫在住です)。
 
 
父は若い頃船乗りで外国に行ってて、私が生まれる前に造船会社に転職していましたが、私が中学生の頃、(今でいう)リストラに遭ってしまいました。
 
 
なかなか次の仕事が決まらない中、ずっと専業主婦だった母がパートに出たり、修学旅行のときに自分だけ健康保険証がなかったり…と、
 
「お金がないって大変なことなんやなー」
 
と子ども心にかなりインパクトのある出来事でした。
 
 
その後父はなんとか再就職し、私と3つ違いの姉は短大に進学することができました。
 
 
そして、男女雇用機会均等法が施行された1986年に某大手証券会社に就職しました。
 
 
 「なんで証券会社を選んだんですか?」
 
「経済学部出身ですか?」
 
とよく聞かれるんですが、サラリーマンとしては不遇のキャリアだった父から
 
「証券会社はお給料が高いから、いいぞ!」
 
と言われ、証券会社が何をやってるかよくわからないまま(笑)、入社しました。
 
 
入ってすぐにバブルが始まり、毎年夏休みはボーナスをもらってハワイやヨーロッパなどに旅行に行ったり、残業したらタクシーチケットをもらったりしてるうちに、バブルが崩壊。
 
 
営業職の同期たちはお客様対応で大変そうでしたが、事務職の私は、ボーナスが減っちゃったなーぐらいのノリでした。
 
 
27歳で最初の結婚をして、28歳で長男を、30歳で次男を出産。
 
 
「会社員にとって、辞めるのは最大の権利だから、育休の制度があるなら取ったほうがいい」
 
と父に言われ、支店で初めて育休を取得しました。
 
 
「大きなお腹で1階をうろうろされたらお客さんの目に入るから、フロアを移って」
 
と上司に言われ、今でいうマタハラをがっつり受けましたが、当時の夫が文句を言ってくれて、無事に臨月まで働くことができました。
 
 
次男を出産後、舅が亡くなって1人になった姑と同居を開始しましたが、いろいろ口出ししてくる姑と揉めるようになり…
 
 
最初は私の味方をしてくれてた夫とも次第にうまくいかなくなって、実家に戻って別居→調停→親権をめぐる裁判を経て、長男が小学校に上がる直前に、正式に離婚が成立しました。
 
 
 
仕事ばかりの40代
 
私ひとりで2人の息子たちを育てることになりましたが、実家に戻ったので、両親にはいろいろ助けてもらいました。
 
ただ、ふたりともすでに年金暮らしで、経済的にはそんなに余裕があるわけではありませんでした。
 
 
息子たちを大学まで行かせるためには、私ががんばって稼がないと!と思っていたときに、会社の人事制度が変わり、事務職のままではお給料がガクンと下がることになりました。
 
 
長く働くには営業職に移るしかないけど、引っ込み思案な私にできるんだろうか?とビビりながら営業の部署に異動したのが、37歳のとき。
 
 
38歳のときには、いつも支えてくれてた父親が亡くなり、その後、母親も介護が必要な状態になって施設に入りました。
 
 
なかなか営業成績が上がらないまま、評価が低いので降格するか、歩合制になるかという選択を迫られ、またまたビビりながら歩合職に移りました。
 
 
歩合になったとたんリーマンショックに見舞われ、このまま仕事続けていけるのか?と不安だらけの日々でしたが、
 
「私が不安そうにしてたら、お客さんはもっと不安になるはず」
 
と思って、自分を奮い立たせながらお客さんに向き合い続けました。
 
 
幸い、上司にもお客さんにも恵まれたことや、その後アベノミクスで株価が上昇したことで、年収8桁を安定して出せるようになっていきました。
 
 
 
その結果、経済的には余裕ができたものの、数字のプレッシャーや職場の人間関係、母の介護など、いろんなストレスに押しつぶされそうな日々。
 
 
毎日夜遅くまで残業したり、休みの日もお客さんとアポがあれば出かけていったりと、ひたすら仕事ばかりしていました。
 
 
 
母が亡くなって休みを取ってるときにさえ、家からお客さんに電話しなくちゃいけなくなり、
 
「私、なにやってるんやろー」
 
と思ったんですよね。
 
 

お金のため、子どものためと思ってひたすらがんばってきたけど、気がつけば息子たちの大学の費用も、数年前に買ったマンションのローンを一括で返せるお金も貯まっていました。

 

 

「もうこれ以上がんばるより、これからは自分のために生きたい」

 

 

そう思って、次男の大学進学が決まったタイミングで、28年間働いた証券会社を退職しました。

 
 
 
新しい仕事と、2度目の結婚
 
その後、数字に追われる仕事はしたくないと思って、銀行の派遣社員として、資産運用のアドバイスをする仕事に就きました。
 
 
このままひとりで生きていくのかなと思っていましたが、
 
「新しいパートナーを探してみたら?」
 
とアドバイスされたのをきっかけに、婚活を始めました。
 
 
活動して半年で今の夫と出会い、その2ヶ月後の2015年12月に、50歳で再婚。
2016年9月からは、ずっとやってみたかったブログを始めました。
 
 
最初は、何を発信したらいいのか?私が得意なことは何か?が分からないまま、とりあえず思いついたまま書いていましたが、
 
「株主優待とか、興味はあってもどうしたらいいかわからない人のために、投資についてわかりやすく教えてあげたら?」
 
とアドバイスをいただき、【初心者さんのための資産運用ナビゲーター】として発信を始めました。
 
 
 
当時はキラキラ女子起業ブームで、
 
「フツーのOLだった私が、初月で月商7桁達成できちゃいましたー」
 
という人をあっちでもこっちでも見かける時代でした。。
 
 
私もいわゆる起業塾に入ったり、個別コンサルをお願いしたりと、かなりのお金と時間を使ってきたんですよねー
 
この話もまた書きます
 
 
銀行のお仕事は契約満了、いわゆるハケン切りのタイミングでいったん終了しましたが、2023年からはまた銀行で働いています。
 
 
ちなみに、こういう専門的な仕事って、普通の求人情報には載ってなくて、金融専門の派遣会社に登録して、声がかかる仕組みになっています。
 

 

 
この歳になっても、お声がかかるのはありがたいと思いつつ、ゆるーく働いています。。
 
 
 
人は、いつからでも変われる
 
こうやって振り返ってみると、まあまあいろいろあった人生なんですが、けっこうがんばって、自分自身で人生を切り拓いてきたかなーと思っています。
 
 
それができたのは、
 
「自分ががんばって変えられるものについては一生懸命考えるけど、変えられないものについては悩んでもしようがない」
 
という楽天的な性格のおかげですw
 
 
さらに、40代までにがんばってお金を稼ぎつつ、投資を続けてきたことで、お金を理由にいろんなことをあきらめなくてよかったというのが大きいなーと思っています。
 
 
たとえば婚活でも、
 
「男性は若さを、女性は年収を相手に求める人が多い」
 
と言われましたが、私は養ってもらいたいわけじゃなかったし、夫も若さにこだわりはなかったので、一緒になることができました。
 
 
お金がすべてではないけど、お金があることで人生の選択肢が広がるなーということを、この歳になって実感しています。
 
 
特に、人生の後半戦を不安なく生きていくためには、お金を味方につけるというのはめちゃくちゃ大事だと思ってるんですよねー
 
 
 
2023年には【新NISA説明会】を開催して、全部で18名の方に参加していただいたり、
 

 

 

 
2024年には【じぶん年金の作り方セミナー】を開催しました。
 
 
投資の情報はあふれてる時代だからこそ、
 
「私の場合はどうしたらいいかわからない」
 
という45歳以上の人のために、お役に立てる情報をこれからも発信していきたいと思います。
 
 

 

 

 

 


 

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 50代からのお金と人生を考える☆ おはまチャンネル | stand.fm「初心者さんのための資産運用ナビゲーター」として、投資初心者さんが最初の一歩を踏み出すための情報を発信中。 証券会社で28年、銀行で6年間働き、現在はフリーで活動しています。 バツイチで育てた2人の息子は社会人。 49歳で婚活し、5年前に再婚した夫と2人暮らし。 好きなことは、本を読むこと、スイーツを食べること、旅行に行くこと。 【無料メルマ…リンクstand.fm

 

 

 
 
 
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