ドクター・ルイージに通って1年近くたった頃だったように思う。
『ずっと考えていたんだけどね。
心療内科で出せる薬の域を超えそうなんだよね。
今までずっと男の先生だったでしょ?僕はここで同性の意見も聞いた方がいいんじゃないかと思うんだ。
ごめんね、もう僕のところでは面倒みれないんだ。入院も考えなきゃいけないと思う。この院内に精神科があるのを知ってる?精神科は怖いというイメージは少し変わったかい?
大丈夫。ダメだったら戻ってきていいよ。1回精神科で治療してもらおう。
ちゃんと話しやすい先生を見つけておいたよ。優しい女の先生だよ。
不安なこと、嫌だったと、辛かったことは、今までみたいにメモでもいいから手帳に書いてね。それを先生に見せるだけでもいいんだよ。上手く喋ろうと思わなくていいし、申し訳ないと思わなくていいんだよ。』
そう言われた。
ドクター・ルイージと離れるのはとても怖かった。でもルイージが話しやすい先生を探してくれた。
そう思って、信じて精神科へ行くことを決めた。
女医さんはとても優しい方だった。
手帳を隅から隅まで見てくれ、本当によくやっている、もう頑張らなくていいと言ってくれた。
心療内科と精神科で取り扱える薬が違うという説明もしてくれた。
大学病院であること、予約優先であることを踏まえても、不安であればいつでもおいでといってくれた。
また自宅安静に戻ったが、離婚をしてしまえば楽になるような気がしていた。
ただ父親をなくしていいのかどうか、それはやはり考えた。離婚するかしないか、自分の中で何度も葛藤があった。
体調も安定せず、とうとう入院治療を勧められた。いくつか入院希望の病院候補を出したが、寒くなり始めた時期だったためか、どこも満床であり、精神科単体でやっている個人病院へ紹介された。院長が女性だという理由だった。
(今思うと、私は男性医師の方が楽でいい。)
ちょうどよく母と受診に行っていた時であり、車で30分程離れた病院へ向かった。
木に囲まれた落ち着いた雰囲気の病院というのが第一印象であった。
院長先生と初対面。
紹介状を読み、私がメモ帳を出すと拒否された。
『本当に辛い人はメモなんか出来ません!』
こういう感傷的なところが女性の苦手なところだ。
どんな思いで書いたかなんて聞くこともない。
診察も一方的。
不信感しかなかった。
気がつくと院長の後に男性看護師が立っていた。
あれ?どこから来たの?入口はここなのに?
と不思議に思っていた。
『月さんにとって、ここでの入院生活は一番厳しいリハビリになると思います。最初はとても辛いと思いますが頑張りましょう。』
入院しましょうと言われ、男性看護師に手招きされ進んだ先には、院長の後にある扉があった。そこを出ると病棟に繋がっていた。つまり外には出れない。驚いた。一度、外に出て、入院に必要なものを準備する時間があると思っていた。
いくつもの鍵を開け閉めし、たくさんの扉を通過して案内されたのは二人部屋だった。
先に入院していた女性は、私と同じ年のふんわりした優しい女性だった。
桃ちゃんは私のことを心配してくれ、かと言ってあれこれ聞くわけではなく、とてもおっとりマイペースな女性だった。
不思議な入院空間であった。
3病棟は中心にあるホールと呼ばれる体育館を小さくしたスペースで全て繋がっていた。
部屋は女性・男性・女性・男性という並び。
もちろん部屋に鍵はない。
ふと気がつくと、扉を開けてこちらを見てわらっている男性。
新人が入ってくると、なぜか喜んで寄ってくる女性。
人の持ち物を全部見ようとするオバチャン。
タバコや物を持ちさろうとする人。
恐怖で声も出なかった。
そんな私を見て、桃ちゃんは
『月ちゃんは何が一番怖いの?』
と聞いた。
『人』
と応えると、どこに行くにも手を繋いで一緒にいてくれた。
桃ちゃん目当てでやってくる男性達も、面白がって私には声をかけたが、慣れるまで全て桃ちゃんがあしらってくれた。
初日は当然眠れず、言われた通りにナースコールを押し、睡眠薬を追加してもらった。
次の日のお昼過ぎまでずっと寝ていた。
ただ朝と昼に薬を飲まされた記憶はある。
外部との接触はほぼ遮断され、お見舞いに来てくれる方やお手紙と、アナログな生活を送った。
テレビはホールでしかみれない。
携帯や財布は家族が持ち帰るか、ナースステーションに預けなければならなかった。
私は1日の大半を読書と手帳の整理に費やした。
スケジュール帳を使って、記憶力のカバーをすることをやめなかった。それは今でも続けている。
窓は全て鉄格子で囲われていた。
唯一、ホールの大きな窓だけは鉄格子もなく、毎日そこで日光浴をする習慣になった。
ある病棟を牛耳っていたボス的存在のあっちゃんがいた。私より20歳以上年上のおじさんは、いつも喧嘩していたが必ず勝つ。そうやってそこの病棟の平穏を保っていた。病棟の平穏はみんなの平穏であった。
桃ちゃんはあっちゃんグループのお茶会に入っていた。私も桃ちゃんと同室だからと誘っていただいた。あっちゃんに麻雀や花札、人間観察の方法を教わった。とても頭のいい人だった。
あっちゃんからたくさんのことを教わった。
あっちゃん、今も元気にしてますか?
あの頃、とても小さかった子供達は二人とも高校生になりました。