私が今でも出来ないことがあります。
それは
自分を許すこと。
自分を好きになること。
無知である自分を責めないこと。
昔に比べたら大分良くなりました。
でもまだ、自分を大事にすることが出来ません。
心のどこかに
「無知は罪である」
という思いがあるからだと思います。
周りの人に求めているわけではありません。
知らないことは悪いことではない。
その時、学べばいいんだよ。
と、本気で答えてしまいます。
これ子供にもそうです。
勉強なんかできなくてもいい。
但し、挨拶と礼儀と仁義は通しなさい。
と教えています。
自分が無知であることを許せないのです。
何故かはわかりません。
でも根底にあるのは父の躾と、結婚生活で体験したハラスメントが関係しているのではないかと思っています。
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何回目かの診察室に🐯が同席しました。
本音を言えば同席して欲しくなかったのです。
また責められるとしか思っていませんでした。
薬を飲み始め、どんどんと全てが鈍くなる私を見て、医者が悪いと思っていた🐯。
当時はインターネットなんてそう簡単に繋がる環境ではなく、凄く時間のかかる作業でした。
何とか仕事をしていた私の横で、パソコンの前に座り、ずーっと何かを印刷している🐯。
嫌な予感がしました。
診察当日は🐯が運転する車で行きました。
時間があるからとケチな🐯が私を連れていったのはミスタードーナッツ。
コーヒー飲もうぜ!
と🐯。
何年一緒にいるんだ
私コーヒー飲めない
テーブルに座った私に🐯が出したものは、職場で印刷していた大量の資料でした。
なんと精神科の文献


予感的中


うつ状態ってな、こーいうことなんだぞ?
お前は違う。
ちゃんとこれを全部読め。
何と答えろと?
黙って車に文献持って戻り、無言でクリニックまで行きました。
診察室に入り、医者に
・🐯が来ていること
・先程うつの文献を大量に貰い、全部読めと言われたこと
・お前は違うと言われたこと
・薬の飲みすぎだと言われたこと
・とにかく🐯に説明して欲しいこと
・辛いこと
それだけ話をしたと思います。
この時期は涙腺崩壊というか、感情のコントロールが出来ませんでした。
話すのも気力と体力を要し、できるだけ話したくない。何もしたくない。ただただ眠たい。
ひとりになりたい。
直後に診察室に呼ばれた🐯は、私の隣で医者に大説教されました。
・仮にも🐯は医療従事者であること
・相手を思いやる気持ちが足りない
・偏った知識での論破
・私への攻撃
・家事も育児も手伝わない
他にもいっぱいあった気がします。
貴方は医者ですか?
という問に🐯はフリーズしました。
そしてその🐯を見ながら、医師は私に聞きました。
仕事休みませんか?
死にたいと思うんでしょ?
旦那さんは知っていましたか?
月さんは死にたいと思っていること!
一番大切なのは月さんご自分の命です。
診断書を書きます。これから3か月休んでください。ご実家へ帰ったらいかがですか?
旦那さん、貴方は職場も一緒ですね?この状態を上司にしっかりと伝えてください。原因は貴方にもあるんです!しっかりと自覚してください!
それから診断書を受取り帰りました。
そのまま職場に向かいました。
我々の部署に上司はおらず、まず一番年上の方に話をし、統括責任者となっている事務長に話に行きました。
事務長の娘さんと私が偶然同じ年であり、また前職場で同僚だったこともあり、詳しく話をしなくても理解して頂いておりました。それはとてもありがたいことでした。
詳しく内容は旦那に聞く。娘にも聞いてるし。月は仕事にいつも一生懸命で、ひとりで抱え込んでいた事も知ってる。ムリしすぎたんだな。こっちは大丈夫だから、ゆっくり休め。それもママの仕事だぞ!
旦那は俺がしっかり説教しておく。
と。次の日から自宅安静が始まりました。
直ぐに実家に帰ったかどうかは全く覚えていません。ただ自宅にいた記憶もありません。 だから実家に行ったんだろうと思います。
前にも書きましたが、子供達がどうやって保育園へ通っていたのか、行事に参加していたのか、どうやって大きくなったのか。
それも殆ど記憶がありません。
ただ半年程休んで、職場復帰したようには思います。復職と病休を繰り返していた記憶はあるからです。
そしてそんな自分が嫌で、何度も死のうとし、失敗し、病院に運ばれたこともなんとなく記憶しています。
入院を勧められ、紹介状を持って行った病院で、
あなたは入院には向かない
と言われ、クリニックに戻ったら、医者に怒鳴られ、転院することにしました。
大学病院の心療内科をセカンドオピニオンで受診した際、クリニックの医者自身が精神疾患であること、薬を出す量が多くて有名であることを知り、その後は大学病院に通院することになりました。