キラリきらめくあなたへ
最近特に感じること。
それは、愛っていろんなところに、いろんな形でひそんでいるんだ、ということです。
それは一種の宝探しのようなもので、人生は「愛」をどれだけ見つけられるかのゲームのような気すらします(^ ^)
「私なんて愛されていない」と思い込み、「ない」前提でみるとやっぱりないし、見えないのです。
逆に「私は愛されている」と思い込んで「ある」前提でみると、ある。見つかるのです。
*ちなみに私や家族がなくしものをしたとき、「ある、ある、ある。絶対にある。」と「ある」前提で探します。不思議なことに、目って、脳がどう思うかで見え方が変わるんですよ〜(^o^)
好きな人から愛されたい人、家族や職場や友達から愛されたい人。
さまざまですが、根本の考え方は同じですので、興味がある方はぜひ読んでみてくださいね。
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さて、愛されている人と愛されていない人(愛されていないと思っている人)
なにが違うのでしょうか?
それは、
「日常の生活の中から愛を感じとる力」が豊かであるか、そうではないか。
この違いだと思います。
人との出逢いや出来事は皆んな平等に与えられていると思います。
しかし、そのなかから、愛(やさしさ)を探し出したり、変換する力があるか無いかで、その出来事や出会いの意味が大きく変わっていきます。
自分のなかの、感性をいかに育てるか。
そこにかかってくるのではないでしょうか。
もし、愛に気づく感性が豊かであれば、どこにいても誰といても、たとえ離れていても、
深い安心感を得ることができます。
愛を発する方とキャッチする方がかみ合っていれば言葉をかわさなくても、アイコンタクトだけでもわかり合える、なんていう素晴らしいことが起きますしね。(人間ってすごいですよねー)
もし、あなたが愛されたいと感じるならば、愛情をキャッチするその感性を育てていくことが大切になります。
ではどのようにそれを育てるかという話になりますが、
それはただひとつ。
心を開いて、素直になると言う事です。
どうせ私なんか、といじけないで素直に
人からの褒め言葉やアドバイスをただ純粋に受け取っていく。
素直になるという事は、少し難しいときもあるかもしれませんね。
なぜなら…
なぜなら…
厳しさの中にも愛があるというふうに自分の考えを変えなければならない時もあるからです。
「注意をされた。私のことをわかってくれない!」などと言うところで止まっていたらその厳しさの中にある愛を受け取ることができません。
「誰かに距離を置かれた悲しい」と言うところで止まっていたら、その距離を置いた中にも愛があると言うことに気づけないかもしれません。
そのように愛と言うのは、ほんとにいろいろなところに隠れていています。
自分は愛されているんだ、と心から信じて、たくさんの愛をうまく見つけ出すことができた時、あなたの人生は劇的に変わり豊かになります。
あなたのかけがえのない命がますます輝いていくことを、応援しています。
出逢ってくれて、ありがとう。
