東洋文庫は、東京都文京区にある東洋学の専門図書館、研究所です
東洋文庫ミュージアム
大正6年(1917)、三菱第三代当主岩崎久彌が中華民国総統府政治顧問G.E.モリソンの蔵書を購入
大正13年(1924)財団法人東洋文庫を設立し、図書部のほかに研究部を設けました📕
日本最古・最大の東洋学の研究図書館で、蔵書は現在約100万冊
平成23年(2011)10月、国宝・重要文化財等を中心とした貴重書を展示するミュージアムが開館しましたが、2025年から改修工事のため閉館していましたが
2026年1月にリニューアルオープンしました
リニューアルオープン記念に開催されているのが「ニッポン再発見ー異邦人のまなざしー」展です
1階
ミュージアム1階はミュージアムショップと
オリエントホールと呼ばれる、大きな窓から日差しが入る明るい空間です
世界中の宝庫ですね
左上: ハムラビ法典
右上: 四庫全書
左下: ブッダの生涯を描く絵本
右下: ドチリーナ・キリシタン
江戸時代の江戸の地図
2階
階段を上がると「日本一美しい図書館」とも言われる「モリソン書庫」があります
モリソン文庫
左上: モリソンさんのご家族写真と映画🎞️慕情のDVD
右上: モリソン文庫の全貌
左下: 1496年刊行「東方見聞録」
右下: モリソン氏の図書カード
ニッポン再発見—異邦人のまなざし
現在はリニューアル・オープン記念
「ニッポン再発見—異邦人のまなざし」が開催されています
マルコ・ポーロから小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)まで、
日本における異文化との接触・交流の足跡、
そして外から見た日本イメージの変遷をたどります
日本を訪れた外国人は、日本にどのような印象をもったのか、
海外の文献のなかで日本はどのように記述されてきたのか、
歴史的な出来事はどのように認識されていたのか見せてくれています
順路通りに回れなかったため
数多くの写真を撮りましたが、
見出しと写真が合っていない物があると思います
すみません🙇
書物の中の「日本」を探す
左上: 1077年刊行(1990年複製)の百科事典「テュルク諸語集成」
11世紀に描かれた地図をみると、日本は真ん中上の円の部分のようで
「ジャパルガー」と書かれています
右上: 広開土王碑拓本
神功皇后の三韓征伐も高句麗側からみると全く違う見解です
左下: 十七史 三国志 魏志倭人伝
近隣諸国との関係は、3世紀からマウントの取り合い?
だということがわかりますね
「魏」だの「卑弥呼」という文字も酷い差別用語です
右下: 隋書
「隋書」には「東夷」の「倭国」から小野妹子が「日出る処の天子、、、」
という書簡を持参したと書かれています
左上: 海東諸国紀
海東諸国紀は15世紀には、李氏朝鮮領議政(宰相)申叔舟(しん しゅくしゅう、シン・スクチュ)が日本と琉球国について記述した漢文書籍の歴史書です
右上: 行基図
行基図は奈良時代の僧侶行基が作ったとされる古式の日本地図です
行基が作ったかどうか真偽は不明ですが後々まで日本地図の原型として用いられ、
江戸時代中期に長久保赤水や伊能忠敬が現われる以前の日本地図は、
この行基図を元にしていたとされます
左下: 東京・日光散策
日本美術に魅力された美術評論家の日本滞在記
右下: ロンドン万博を視察する日本使節団
幕末、イギリスに降り立った日本人の様子を描いた新聞
などが展示されています
いざ、日本へ ヨーロッパ世界と日本との対面
15世紀後半のヨーロッパでは、航海術と造船技術の発展を背景に、
各国が航路を開拓して海外進出をはかる大航海時代を迎えました
さらに、16世紀初期にはじまった宗教改革により、
カトリック教会再興を目的とした海外宣教が展開されます
以降、世界進出、貿易、キリスト教の宣教は一体となって展開されました
商人、あるいはザビエルをはじめとした宣教師など、
16世紀以降にヨーロッパから海を渡り日本を訪れた異邦人は、何に驚き、印象深くとらえたの
でしょうか
また、彼らがもたらしたものは日本にどのような影響を与えたのでしょうか
左上: 伊達政宗遣欧使節記
伊達政宗が1613年に家臣の支倉常長を正使とする使節団をヨーロッパへ派遣しました
その時に使節団と行動を共にした通訳兼外交担当シピオーネ・アマーティによる記録書です
右上: イエズス会の日本書簡集
1549年のザビエル渡来から66年までの日本発信の書簡を集めたもの
左下: 羅西日辞書
スペイン語の辞書
右下: ラーマ4世署名入り書簡
映画「王様と私」のモデルになったタイの国王ラーマ4世の手紙
重文「ジョン・セーリスの航海日記
イギリス人の
貿易商船隊司令官ジョン・セーリス(1580-1643年)は国王ジェームズ1世(在位1603-25年)の親書を携え、日本で貿易を行う目的で1611年4月18日にイギリスを出帆しました
この資料は当時の航海日誌です
日誌はイギリス出港の日に始まり、
ウィリアム・アダムス(三浦按針)の支援のもとで、
徳川家康より貿易を許可する朱印状を得て平戸にイギリス商館を開設し、
リチャード・コックスを商館長として残して帰国するまでの様子を丹念に描いています
写真中央は家康公からの書簡ですが源家康と名乗っています
日本を探検・探求する
左上: 世界の鏡
オスマン帝国でイスラム教徒によって作られた活版印刷で日本についても詳しく記述しています
作者のキャーティプ・チェレビは当代随一の学者でした
右上: 海槎録
17世紀の韓国人による日本見聞録
左下: ラ・べルーズ航海記図版集
18世紀のフランス人航海士による北海道の地図
右下: シーボルトによる「NIPPON」
1823年医師として来日し、蘭学を教え
日本の歴史・地理・言語・風俗などをまとめました
異邦人が目撃した幕末
18世紀後半以降は
外国船の来航による幕府との接触など、
ヨーロッパ列強の接近を意識せざるをえない出来事が続きました
一方、19世紀に産業革命を迎えたアメリカは、大量に必要となった鯨油を得るための捕鯨船の寄港地とするなどの目的をもって、日本の開国とアメリカとの通商条約を目指して艦隊を送ります
1853年のペリー来航、翌年の日米和親条約の締結により、
日本の鎖国は終わりを迎え、幕末の動乱は激化していきます
1868年の新政府樹立と前後して、日本には諸外国の使節団や大使が訪れています
日本の歴史が大きく動いた出来事を、彼らはどのように記録したのでしょうか
左上: 外国人記者による幕末日本の写真
右上: 外国人向けに出された日本の童話(明治33年刊行)
左下: ロシア出身のイスラム教徒による日本滞在記
右下: 外国人記者による幕末日本の写真
左: ジョルジュ・ビゴー による日本素描集
右: 同じ作者による日本の風刺画
ジョルジュ・ビゴー (1887-89年)はフランスの画家です
ジャポニズムの影響を受け日本美術を研究するために来日しました
自国の伝統ある文化を忘れて西洋文化を追い求める日本人の姿に
落胆したと言われています
旅して暮らして記録してー明治日本紀行
開国により日本は国際社会に参入し、近代化への道を歩み始めました
明治時代には、東アジアの人々や欧米を中心とした人々が日本を訪れるようになります
外交官、お雇い外国人、宣教師、ジャーナリスト、旅行者など、日本を訪れる目的、滞在期間はさまざまでした
彼らは、日本で生活したり各地を旅するなかで体感したこと綴っています
左: 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の書簡
右: 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とチェンバレンの書簡集
ギリシャ出身の新聞記者小泉八雲は
イギリス出身のチェンバレンは親交があり書簡を交わし合っています
チェンバレンは「君が代」や『古事記』の英訳で知られる当時最も著名な日本研究者でした
東洋文庫の名品
東洋文庫には数多くの国宝や重要文化材があります
その一部を公開してくれています
左上: 曲亭馬琴作、葛飾北斎画の「新編水滸画伝」
右上: アダム・スミス「国富論」の初版本
左下: 嵯峨本「徒然草」
右下: ジョージ・ヘンリー・ミラーによる「万里の長城」
左: 国宝 文選(もんぜん)集注
文選とはは、中国南北朝時代の南朝梁の蕭統(昭明太子)によって編纂された詩集・文集です
右: 源氏物語絵抄
江戸時代に出された1巻1枚に要約された源氏物語の絵本です
左上: 甲骨ト辞片
紀元前14〜11世紀ころの
占いの内容と結果が書かれていると思われる甲骨
右上: チベット大蔵経
仏教の原型の書
左下: パーリ語聖典
上座部仏教の聖典
右下: 1686年の聖書
新約聖書と旧約聖書が1冊にまとめられている、
とても大きな聖書です
とても綺麗なミュージアムです
素敵なカフェが併設されており、「六義園」🌸にも近いので
新しくなった「東洋文庫ミュージアム」に足を運んでみるのはいかがでしょうか
閉館日などはこちらからご確認ください
最後までご覧いただきありがとうございました😊














